だが……まさか、喧嘩でもしたんじゃあるまいね。」
 冗談らしく見せたその率直な言葉に、中江は少し立直った。視野が開けてくるようだった。そしてその広々としたなかで、キミ子の姿をまざまざと見てとると、もう彼女にもお別れだという気がするのだった。彼女にばかりでなく、あらゆるものに、世の中に……考えようでどうにもなりそうで実はどうにもならないらしい自分の生活にも、お別れだという気がするのであった。自殺……とそれほどのはっきりした形ではなく、自然の成行に任して、そしてその自然の成行で、あらゆるものとお別れだが、然しまた、自殺なんか出来そうもないし、しようとも思わないことが分っているので、あらゆるものにお別れだというのも、結局は空想にすぎないのかも知れない、などと考えるのだった。そして彼は、のんびりと煙草をふかしてる島村を不思議そうに眺めて、自分も機械的に煙草に火をつけてみたが、手先が震えていたので、それをごまかすように、ぼんやり微笑んでしまった。
 島村は怪訝そうな眼付をしていた。



底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23])」未来社
   1966(
前へ 次へ
全43ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング