中江はほっとすると共に、何だか物足りなかった。それから身内に疲労を覚えた。寝転んでキミ子の使の者を待った。待つということだけに幸されて、時間が苦もなくたった。
 女中が取次いだキミ子の手紙には、「先ほどのもの、この人にお渡し下さい。」とだけの走り書だった。中江はばかにされたような気持で、簡単に拾円紙幣を二枚紙にくるんで封筒に入れ、それを持って玄関に出てみた。三十歳くらいの、髪をひきつめに結った、粗末な黒っぽい着物の女が、玄関に立っていた。中江の姿を見ると、ぎごちない軽いお辞儀をした。それきりで、眼にも口許にも、何の表情も示さなかった。中江がじっと見ると、化粧のない浅黒い彼女の顔は、硬く石のようになった感じだった。
「これを、渡して下さい。」
「はい。」
 低いが妙に澄んだ美しい声で、それから、一寸何かを待つように間をおいて、も一度ぎごちないお辞儀をして、そのまま出ていった。影のようなものが、中江の心に残った。初めはすっと刷毛でひいたようなそいつが、次第に大きく拡がっていって、中江からキミ子の姿を奪っていった……。
 彼は、思い出したように、島村に電話をかけてみた。不在だった。で彼も、
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