そういう顔の真中に、小鼻のよく目立つ細い鼻が通っていた。……私はそれらに皆見覚えがあった。そして其処に、親しい千代子の姿がありありと浮んできた。然しそれは、私の幻とは全く異っていた。どう異っているかを私は指摘することが出来なかった。全体の気持ちが全く異っていたのである。そして私の彼女は、理想の女は、再び空漠たる所へ消え失せてしまった。私の手にはありし日の千代子の実際の姿だけが残った。
「どうしたんだい、大変ぼんやりしてるじゃないか。」
 そういう叔父の言葉に、私は初めて我に返った。そして何を云ってるのか自分でもよく分らない言葉を、叔父と叔母とに交したまま、私は急いで辞し去ってしまった。
 凡ては惑わしだったのだ。然し私は、この幻滅に対してどう身を処していいか分らなかった。千代子は消え失せたけれども、「理想の女」は残存していた。そして、それは一つの焦点を失ったがために、一の像《イメージ》でなくなって影となったがために、私の前後左右至る処につっ立ってるような気がした。街路の曲り角、並木の下、電柱の横、奥まった扉口、凡そ人が身を寄せ得る処ならどんな処にでもじっと佇んでるような気がした。而も私
前へ 次へ
全79ページ中71ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング