唇をかみしめていたが、倭に肩を震わして私の方へ向き直った。
「私はいつまでも厄介者にされていたくありません。出て行けと仰言るならいつでも出て行きます。云われなくったって私の方から出て行きます。」
私は黙っていた。
「その女と結婚なさるがいいわ。けれど私にだって意地があります。どんなことになろうと、その時になって文句を仰言らないように、断っておきますよ。」
私は自分の心が静に落付いてるのを感じた。笑いもしなければ、別に驚かれもしなかった。そして冷かに云った。
「お前は、僕が誰かに恋してるとでも思ってるのか。」
彼女は答えなかった。
「僕ははっきり云っておく、僕には他に恋人なんかありはしない。……然し、お前は一体誰のことを云ってるんだ?」
「あなたは、まだごまかそうとなさるんですか。御自分の心に尋ねてみなさるがいいわ。」と彼女は答えた。
穿鑿的な一種の興味が私のうちに湧いてきた。自分に覚えがないだけに、いやに頭が落付いていた。そして私は、知ってる女性の名前を一々挙げて尋ねた。彼女はそのどれにも、肯否の答えをしなかった。然し私が、「では夢の女なんだろう。」と嘲り気味の言葉を発すると、
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