二人がかりでなければならなかったし、昼間子供を湯に入れると風邪をひく恐れがあったし、私共と女中と三人の家内では、朝から晩まで湯を沸しとくのは贅沢すぎるからであった。――私は少し収入の道を講じなければならなかった。一人子供が出来てみると、これから何人出来るか分らなかった。それを考えると、私が父から受け継いだ財産だけでは少し不安だった。私は安楽な就職の口を二三の友人に頼んだ。幸にも思うような所がなかった。それで、文学をやってる友人の紹介で、或る飜訳を少しずつやりだすこととなった。――友人以外の人々と応待する時には、少しく行儀作法に注意しなければならなかった。私はもう書生っぽではなく、一個の父親だったからである。――其他種々。
 子供に代ってそれらのことを規定し割り出すのは、皆秀子自身だった。私は子供のためという名に於て、出来る限りその命に服従した。而もその子供たるや、誰の児であったか!……否、子供は勿論私と秀子との児であったが、結局は誰の所有であり、誰の領有内の者であったか!
 二月《ふたつき》三月《みつき》とたつうちに、まるまる肥ってくるうちに、子供に対する私の愛は俄に深くなっていった。
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