には殊に鋭く感ぜられた。
然し私は、恋愛生活をいつまでも続けたいのではなかった。恋愛は常住の性慾であると思っていた私は、子供を設けた後までも恋愛に耽るつもりではなかった。けれども、私達の生活は何処までも愛の生活でなければならないと、私は信じていた。そして、愛は常住の心の抱擁であると思っていた。もし彼女の心が私の心より外の物に向けられる時があるとすれば、私達の愛はそれだけ不完全になるわけだった。所が彼女の心は、私の心から殆んど常に外らされて、子供の方をばかり向いていたではないか! 而もそれは私達の子供である。私の可愛いい子供、また私にとっては、彼女の一部分たる子供!
私はこの気持ちを、子供に対する嫉妬だと名付けていいかどうかを知らない。然しそれより外に云いようはないような気がする。秀子に対する憤りを、子供にまで蔽い被せねば止まない私の心は、如何に醜いもので毒されていたことであるか! そして子供の唇を吸い、子供の頬をなめる私を、じっと見ている秀子の皮肉な眼付の前に、私は幾度慄然としたことであろう! それでも私はなお、子供の可愛いい唇や頬に慕い寄っていった。すると秀子は荒々しく、私から子供を奪い取ってしまった。私は頭を垂れて、秀子と子供との一体の前に、意気地なく憐れみを乞うた。然しやがてその憤懣が昂じると、私は一種の敵意を以て秀子にぶつかっていった。子供にも当り散らした。秀子は私を頭から圧迫しようとかかった。醜い諍いが初った。そして結果は、私が秀子を殴り倒そうと、また子供を其処に放り出そうと、常に私の敗北にきまっていた。なぜなら、私は家庭内に於て自分の地位を失っていたから。
私は恐らく、子供が出来た新たな生活に進むに当って、外の態度を用意して置かなければならなかったのかも知れない。子供の出生は小事であって、其後が大事であるということを、考えて置かなければならなかったのかも知れない。
二階の書斎にじっとしていると、家の中はひっそりとしている。みさ[#「みさ」に傍点]子は取っているのであろう。秀子は寝そべっているのであろう。時々台所の方でことこと音がするのは、はる[#「はる」に傍点]が食事の用意をしているものとみえる。ぼんやりしていると、凡てが、生活が、自分自身が、佗びしく頼りなく思われてくる。そして、そっと足音を偸んで、憚るように二階から下りてゆくと、秀子が針仕事を
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