子の一部分だとして感じたのか? どうして感ずるようになったか?
 育児は最も大なる務だと云われている。そしてそのことに、私は実生活に於てぶつかったのである。みさ[#「みさ」に傍点]子の出産後七十日ばかりたってから、私は秀子へ向って彼女のだらしない様子を軽く難じたことがあった。その時彼女はこう答えた。
「御免なさい。……でも、子供を育てる骨折りに、男ってものは案外思いやりがないものね。」
 それが初めだったのだ。
 秀子の妊娠中は、妊娠ということに免じて、私は凡てを彼女に許してやっていた。そして分娩ということに対して、敬虔な恐れと尊敬とを懐いていた。彼女も一種の神秘な気持ちで、精神を緊張さしていた。そして分娩という不可思議な危急な輝かしい一点を見つめている私達二人の心持ちには、何等の疎隔も存しなかった。そのままで時が経過していった。愈々の時機がやって来た。私は彼女の枕頭に坐って、彼女の両手を握っていた。二人の心は凡て、握り合った手の中に籠められた。そして偉大なる産みの力……而も案外安々と胎児は生れ出た。私の眼からも、彼女の眼からも、熱い涙が迸り出た。何という崇高な感激だったろう!
 所が、分娩の感激を通り越してから、私達の心は異った方向へ外れ初めたのである。赤児に対する私の恐れは、赤児の発育と共に愛に変ってき、産褥に在る彼女の身体も無事に肥立ってゆき、そして産後六十日ばかりして、私達はまた健全なる夫婦として顔を合せた。然し予期したような生活は、私の前には展開せられなかった。
 否、私は初めから、新たな生活を予期してはいなかったのだ。私が頭に描いていたのは、昔の生活そのままだった。私は生活を更新することを考えないで、秀子の妊娠によって、中断せられた古い生活の復活のみを、考えていたのである。分娩の後に育児ということが横わっているのを、私は勘定に入れていなかった。
 私は私の全部を以て彼女に対しだした。そして彼女も彼女の全部を以て私に対してくれることと、予期していた。その予期が凡て裏切られてしまったのだ。「子供が居るから。」ということは、彼女の最後の而も至当な口実だったのである。
 二人で郊外へ散歩にゆき、または音楽などを聴きに行く――二人の生活を純化し向上するもの――それが殆んど出来なくなったことは、私も別に憾みとはしなかった。私が夜更かしをしてるのに彼女が早くから寝てし
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