雷神の珠
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)方々《ほうぼう》に
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      一

 むかし、世の中にいろんな神が――風の神や水の神や山の神などいろんな神が、方々《ほうぼう》にたくさんいた頃のこと、ある所に一人の長者《ちょうじゃ》が住んでいました。その長者が、ある日、他国から来た旅人から、次のような話を聞きました。
 ――雷《らい》の神が空から落ちると、その落ちたところに大きな穴があいて、その穴の底に、まっ白な珠《たま》が残る。それは世にも不思議な珠で、雷の神の宝物にちがいない。なぜなら、落ちた雷の神が黒雲に包まれて空に昇ってゆく時、黒雲はその珠をも一緒に包んで持っていってしまう。だから、その珠を見ようとすれば、雷の神が落ちてすぐに駆けつけなければいけない。けれども、黒雲に包まれてるうちだから、なかなか見つからない。世界中にまだ誰もよく見た者がない。それほど珍らしい不思議な珠だ。
 長者はその話を聞いて考え込みました。それから、その不思議な珠をどうにかして手に入れたいと思いました。言うまでもなく長者のところには、金や宝が蔵《くら》いっぱいありましたけれど、世界中に誰も見た者がないというほど、珍らしい珠《たま》は一つもありませんでした。
「その不思議な珠を手にいれたいものだな。そうすれば私は世界一の長者《ちょうじゃ》になれるわけだ」
 そして長者は、いろいろ工夫《くふう》をこらしましたけれど、どうもうまい考えも浮かびませんでした。雷《らい》の神が落ちたところへ、落ちると同時に駆けつける、そんなことがなかなか出来るものではありません。雷の神はいつどこへ落ちるかわかりませんし、また、ぐずぐずしていれば珠と一緒にすぐ空へ昇っていってしまうのです。
「これは困った」
 そして幾日も考えあぐんだ末、長者はとうとうある計画を立てました。
 長者の庭のまん中に、大きな高い木が一本ありました。雷の神は何でも高いものの上に落ちるのですから、その庭の木に落ちないとは限りません。そこで、もし雷の神がその木に落ちて、それから地面に転がり落ちたら、木の根下《ねもと》に大きな穴があいて、そこに不思議な珠が落ちるだろう。だから、雷の神を一緒に生捕《いけど》ってしまったら、その珠も手に入れることが出来るだろう。
「そうだ、そうだ」
 そこで長者は、雷の神と珠とを一緒に生捕る工夫《くふう》をしました。大勢《おおぜい》の家来《けらい》達に言いつけて、丈夫《じょうぶ》な縄《なわ》の大きな網をこしらえさせ、これを庭の大木のまわりに張らせ、網につけた綱を一本引けば、網が大木の根下にすっかりかぶさってしまうようにしました。
「こうしておけばうまくゆくにちがいない」
 そして長者は、入道雲が空に出て来て雷が鳴り出す日には、庭の隅《すみ》に飛び出して、網の綱を握りしめ、雷《らい》の神が大木に落ちるのを待ち受けました。

      二

 ところが、長者《ちょうじゃ》がいくら待ち受けていても、雷の神は長者の庭の木に落ちませんでした。
 というわけは、雷の神は空を鳴りはためきながら、どこに落ちてやろうかと見下《みおろ》しているうちに、長者の庭の木に仕掛《しか》けがしてあるのを気づいてしまったのです。
「これはうかつには落ちられないぞ」
 そしてますます勢い強く鳴りはためいて、長者の家の近くに何度も落ちてみせましたが、仕掛けのしてある木には一度も落ちませんでした。
 長者は待ちくたびれてきました。近くには何度も雷の神が落ちるのに、自分の庭の木にだけ落ちないものですから、なおさらじれだしました。
「どうすれば庭の木に雷の神が落ちるだろう」
 そこで長者は、何か雷の神の好きなもので招《まね》き落してやろうと考えました。
 その頃、ほど近い都に、名高い物知《ものし》りが住んでいました。長者はその物知りのところへ使いをやって、雷の神の好きなものをたずねさせました。
 やがて、使いの者が帰って来て、都の物知りから聞いてきたところでは、雷の神はぴかぴか光った赤いものが好きだということでした。ぴかぴか光った赤いものを見せると、雷の神がすぐに落ちてくるから危ない、と物知りは言ったそうです。
「なに、危ないことはない。仕掛《しか》けがしてあるのだから」
 けれども、そのぴかぴか光った赤いものというのは、一体何のことだろう、と長者《ちょうじゃ》は考えました。
「はて……」
 その時ふと思いついて、長者ははたと膝《ひざ》を叩きました。また家来《けらい》達に言いつけて、大きな日の丸の扇《おうぎ》をこしらえさせました。畳《たたみ》二枚ほどもある大きな扇で、まん中に大きく金の日の丸を書いたものでした。それで雷《らい》の神を招き落とそうというのです。

      三

 さて、ある日、空にむくむくと入道雲が出てきて、それがふくれ上がり延《の》び広がり、やがて空一面まっ黒になって、ざあーっと大粒《おおつぶ》の雨が降り出し、ごろごろと雷が鳴り始めた時、長者は庭の隅《すみ》のあずまやの中に出ていきました。そして、庭の大木に仕掛けた網の綱を足でふまえ、いざといえばすぐにその綱を引っ張って網を落とすようにして、それから、大きな金の日の丸の扇をあずまやの軒《のき》から差し出して、空に向かって両手であおぎながら、雷の神を招き落とそうとしました。
 扇には油が引いてありましたから、いくら雨に濡れても平気でした。ざーざーっと降る雨の中にも、金の日の丸はぴかぴか光りました。雨が少し小止《こや》みになって、雷が激しくなってきますと、ぴかりとする稲妻《いなづま》の蒼白《あおじろ》い光りを受けて、濡れた金の日の丸が、なお一層輝いてきました。
 雷《らい》の神は空の黒雲の中からふと、金の日の丸を見つけました。
「おや」
 そして自分の好きなそのぴかぴかした赤いものにひかされて、そこへ落ちようとしかけましたが、仕掛《しか》けがしてあることを思い出しました。
「うっかりあすこへ落ちたら大変だ」
 そう思って、なおかんしゃくを起こして、ひどく鳴りはためきました。
 長者《ちょうじゃ》の方でも一生懸命でした。金の日の丸の扇《おうぎ》で雷の神を招き落とさなければ、とうていその不思議な珠《たま》を手に入れることが出来ないのです。雨に濡れるのもかまわずに、あずまやの中から飛び出して、庭の中につっ立って、金の扇で招きました。
 そしてしばらく、雷の神と長者との争いが続きました
 するうちに、空の黒雲の縁《ふち》からのぞいていた雷の神は、あまりしつこく金の日の丸の扇で招かれるのがしゃくにさわってきました。そしてまた、その金の日の丸のぴかぴかしたいろに、知らず知らずひきつけられてゆきました。しまいには、辛抱《しんぼう》しきれなくなって、なかばかんしゃくまぎれに、なかばうっとりして、非常な勢いで、金の日の丸めがけて、一息《ひといき》に落っこってやりました。
 すさまじい電光《でんこう》と雷鳴《らいめい》と黒雲との渦巻《うずま》いた中に、金の日の丸がぴかりと光っただけで、後は何にもわかりませんでした。

 やがて、長者の家の人達が、正気《しょうき》づいて駆《か》けつけてみますと、庭の中が黒こげになっていて、長者は姿も見えませんでした。
 雷《らい》の神は、庭の高い大きな木に落ちるひまもなく、じかに金の日の丸の上に落ちかかったのでした。そして、その扇《おうぎ》を持ってた長者《ちょうじゃ》は、雷の神に打たれ焼かれて、雷の神が落ちるはずみに地面に出来た大きな穴の底に、ただ黒こげの骨だけとなって横たわっていました。
 それで、その時もやはり、雷の神が落ちて出来る穴の中に、雷の神と一緒に落ちるという不思議な白い珠《たま》を、誰も眼に見た者がなかったそうです。



底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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終わり
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