は、各種の宝石を一通り具えてみたくなる。慾にも階級がある。
 洋菓子をもろくに食えない身分でありながら、僕は、一つでいいから宝石の指輪が欲しかった。それもつまらないものではいやだ。すばらしい真珠か、小さくとも質のよいダイヤかだ。その指輪のケースをひそかに懐にしのばしていって、何気なく彼女の前に差出すのだ。彼女はあけてみてびっくりする。うわずって片方少し斜視の眼が、キリストを見上げるマリアのような眼付になる。白粉やけのした蒼白い頬に曙の色がさす。そして静に指輪を僕の方に押し戻して、こんなことをして頂いてはわるいと云う。あなたのお家の事情もよく分っている、こんな無駄なことをなさるより、お母さんを何か喜ばしてあげなすった方がよい、あたしはもうお志だけで充分だ、とそんなことをしみじみと云う。それを僕は無理に受取らせる。そしてしまいに、二人とも口を噤んで涙ぐむ……。
 甘ったるいのは当然だ。僕はある女に――芸妓に――惚れこんでいた、或は恋をしていた。芸妓に惚れるなどは、ブールジョアのすることらしいが、こればかりは理屈ではいかない。独身者の生理的必要を満すには、いくらも安価な方法がある。然し方法を超越したところに、恋愛の存在理由がある。僕は色慾と食慾とを同一だと考えている。生理的必要からくる色慾以外に恋愛が存在するのは、生理的必要からくる食慾以外に調味法が存在すると同様だ。美意識や味覚は生存の必要条件ではない。それらは凡て慾望の上に生長する。病院で僕は、生命を維持するのに、幾グラムかの流動食で充分だったし、体力を回復するのに、僅かな粥と一汁一菜とで足りた。がその必要なだけの食物は、非常な苦痛だった。寝ながら、退院後のあらゆる美食を空想して、表にまで拵えたものだ。ただその空想を実現することは、経済状態が許さなかった。が慾望は消えなかった。鶏卵と牛肉鍋くらいが家庭での最上等の御馳走だった僕は、市内の種々の料理屋のことを、粗末な餉台に向いながら空想したものだ。そんな時僕の顔は、きっと陰鬱な影に蔽われたに違いない。僕の回復を喜んでくれてる母の顔も、やがて陰鬱になって、視線が重く下に垂れ、口も重くのろくなる。顔面の若さは主として眼付と言葉とにあるものだが、その二つが力を失ってくると、五十歳を越してる母はひどく老けてしまう。苦労を続けてる母が、気の毒になってくる。お母さん、こんど春日《かすが》の料理でも食べに行きましょうか、とそんなことを僕は云う。母は眼をあげて、僕の顔を偸むように見る。そんなことをするより何か他の滋養分でも……とその言葉をそっくり裏づける淋しい眼付だ。それがふびんなので、僕はある時女中に旨をふくめて、大黒屋の野菜の煮物や、鳥常の雛鳥の上肉や、広島牡蠣の殼焼など、母の好きなものを調えさして食膳を賑わしてやった。母はびっくりしたようだったが、僕の冗談につりこまれて快活になり、僕と一緒に実にうまそうに食べた。いつもより多く食べた。年老いた母がうまそうに沢山食べるのを見ると、涙っぽい擽ったさが胸にしみる。が老人のそうした食慾も、必要以上の味覚の慾だ。若い僕が、市内の贅沢な料理屋のことを空想したとて、或は芸者に恋したとて、敢て不思議ではあるまい。ただ悲しい哉、二つの慾を同時に満すことが出来なかったので、僕は恋愛の方を主とした。
 公平なところ、美人ではない。だが、味覚が個人によって異るように、美意識も個人によって異る。殊に恋愛の場合には、美意識は或る一局部に限られて、別な或る熱病みたいなものが大勢を支配する。試みに、恋人といわれる多くの女性を公平に観察してみ給え。あんな女を……と云えるのが大多数だ。鼻が曲っていたり、唇が反り返っていたり、眼が右と左とちんばだったり、耳朶が少し欠けていたり、背が低すぎたり高すぎたり、掌の幅が広かったり、方々に欠点だらけの者が多い。ところが、恋してる男の方では、それでよいのだ。それで満足なのだ。どこか一つのところに惚れこんで、その一点から全体を覗いてみるのだ。葦のずいから天井をのぞくようなものだ。それになお、恋愛は一種の電気作用だというのも、真理かも知れない。それはただ相牽く力だ。体質や気質による牽引力だ。然しともすると、一方だけが牽かれて、一方は何にも感じないことがある。僕の場合も、そういった感がないでもない。そんなら一体、どういう点から彼女を覗いたのか、それは一寸云いにくい。或は左の眼のうわずった斜視めいた眼付かも知れない。或は頬の生気のない蒼白い皮膚かも知れない。或はしまりのわるい口の舌ったるい言葉かも知れない。或は腰部が大きく胸部が腺病質に細そりしている胴体かも知れない。或は紅をさした細長い爪かも知れない。人は妙なところに惚れこむものだ。或は、そういった特殊な点ではなくて、花柳界の頽廃した雰囲気のなかで、
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