のことを考えている。そして彼等は、私が前に描き出した人間像に対して、或は厳しい眼を向け、或は優しい眼を向ける。
*
ここでまた、青島の都市に飛ぼう。
青島は、都市のなかでのハイカラなインテリ青年である。煉瓦とコンクリートと赤瓦との建物、鋪装しつくされた街路、アカシアやプラタナスの並木、支那には珍らしい青澄な海と美しい砂浜、苦心の植林によるこんもりと茂った小山、凡てが若々しく、知的な眼を輝かしている。
港へ船がはいる前、海上から眺める※[#「山+労」、350−上−7]山の姿は絶勝である。秦の始皇帝がこの頂から、海の彼方の蓬莱島の不老不死の霊薬を偲んだという伝説に、如何にもふさわしい山容である。この右手の※[#「山+労」、350−上−9]山に対して、左手にも相似形の大珠山が聳えている。また、汽車で青島から出発する時、車窓から見える膠州湾内の帆形は微笑ましい。そして飛行機上から眺むれば、青島はただ赤一色の町である。
青島全体が半島の先にのっかっている。半島の中央の小山は公園であり、半島の幾つもの岬も公園であり、それらの公園をつないで、海岸から小山へかけて、自動車を走らせるのもよく、馬車を駆るのもよい。そして片脇に大小の港をかかえ、背後にまとまった工場地帯を控えている。ドイツによるこの都市経営以来、更に広大な都市計画が立てられ、洋風赤瓦の建築法が一律に守られている。上海の新たな新市街計画も、また済南のそれも、恐らくこれほど整然とはゆくまい。
青島には美しい海があるから、湖水も沼もいらない。だが、汽車と船とがあるから、電車がいらないとは云えまい。然し今のところ、電車がないのは却って騒音がなくてよいと思われるほどではあるが、馬車や洋車はこの都市では変に古風に見える。競馬場やゴルフ場は甚だ立派であり、映画館も小意気であるが、よい馬はなく、ゴルフの球は飛ぶこと少く、フィルムは古く、演劇の見るべきものは全くない。支那料理屋は甚だ少く、その数少い料理屋も、他の都会のものに比べて料理がまずく、老酒はおもに即墨の地酒である。北京のように公許の阿片喫煙所はないが、平庚五里の遊里はなかなか明朗である。山東産業館は規模は小さいが、この種の科学的な大衆的施設は他の都市にはあまりないだろう。
この都市はまだ若く、支那的特殊なものに乏しい。そしてそれが却って、支那ではこの都市の特殊性となる。ドイツがこれを建設した当時、土民の乞いによって残されたという旧衙門と天后宮とだけが、旧支那式建設であって、他は悉く近代建築である。風光の美もそれに加わって、何となく知性的な眼を見開いてる感じがする。
この感じは、近代思想に眼覚めた支那青年を思わせる。ところで、青島市が建設されてる素材は支那のものであるが、その様式は外国から来たものであるとして、支那の若いインテリ青年に於ても、果してそうであるだろうか。青島には、民族資本のねているものが今のところ二億あると云われる。それは上海や天津に比べてはごく小額ではあるが、然し青島としては大したものである。支那の若いインテリ青年のうちには果してどれほどの民族資本がねているであろうか。
支那の民族遊資を引出すことが、経済工作の一問題であるとするならば、支那の精神的遊資を引出すことが、文化工作の一問題としてよかろう。そしてこの場合、遊資引出しは共同経営を意図するものであるし、文化工作は文化的共働を意図するものでなければなるまい。共働の目標は新東洋文化の確立にある。
ただ、支那のインテリ青年は、その大多数が奥地へ遁入し、残った少数も多くは野にひそんでいる。北京にひそんでいる者が、如何ほどあるだろうかとの問いに、学生を除いて、まず三四十人はいるだろうと或人は答えた。上海には少し多くいるだろう。青島には幾人もいないだろう。そのイメージがじかにつながる青島に、幾人もいないことは、青島のために淋しい。然し、景色もよく気候もよい青島のこととて、此処に文化施設を盛んにすることによって、私のイメージは案外実際的なものとなり、新たな文化の発祥地の一つとなるかも知れない。
北支の村落と北京と青島とについて、私は以上のような三つのイメージを持つ。支那を考えることは、またこの三つを同時に考えることであらねばならぬ。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング