くるか?
 或は一人の人の口から――既成大家と未成大家とを問わず、或る一人の人の口から――じかに発せられることがある。或は幾人かの集団の雰囲気から、自然に発してくることがある。或は批評の言葉の中から、叫び立ててることがある。或は作品の行と行との間に、潜み籠ってることがある。然しながらそれは常に、或る魂から生れてくる、粉飾のない赤裸な魂から生れてくる。
 茲に至ってもはや、芸術家としての心境は問題でない。人としての魂それ自身が問題である。
 そういう魂こそは、光を放つ。自分を生かし他を生かす健かな光を放つ。
 魂を或る境地に据えつけるのは、まださほどの難事ではない。魂に光を放たしむることは、難中の難である。
 それは、外的刺戟をも内的刺戟として生かし得る人、常に敬虔な真摯な生き方をし得る人、利己心を去って赤裸に物を観じ得る人、そういう人にして初めてなすことが出来る。
 そして、斯かる魂を受け容れ得る文壇は、所有し得る文壇は、更に、醸し育て得る文壇は、幸なる哉である。
 そういう文壇は、煩瑣な擾乱に毒さるることなく、常に溌剌と進んでゆくことが出来るのである。作家達を皷舞する光を失わないのである。
 思えば吾が文壇も、野に声なしの歎を感ずること既に久しい。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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