歩ではない。
芸術の内容と表現とは一つのものであるというのは、出来上った作品について云われることで、作家について云われることではない。
内的な進歩なしに、心境の進展なしに、ただ表現の技巧にのみの進歩があり得る。表現の技巧の進歩なしに、内的の進歩が――心境の進展があり得る。芸術家にとって望ましいのは、前者よりも寧ろ後者である。両者かね具わるのは最もよろしい。
表現の技巧の進歩のみあって、心境の進展のない時、その作家は如何ほど優れた作品を書こうとも、芸術家としての生き方に於ては、既に行きづまっているのである。同じ場所で同じ足踏みを繰返しているのである。
上手か下手かも勿論問題ではある。然しながら、進んでるか止ってるかは、より多く問題とならなければならない。
うまい作品かまずい作品かということは、作品としての問題である。よい作品か悪い作品かということは、深い作品か浅い作品かということは、作家としての問題である。
この作家としての問題は、結局その作家の心境問題である。
人は或る境地に辿りつくと、その境地に安住したがる。そこに止まっている間は、安全であり安心である。そこから出ることは、肌寒く不安である。
芸術家も或る心境に到達すると、そこに安住したがる。
生きるということは、必然的に本来的に、進むことを意味する。一の場所に停止するのは、生きることではない。
芸術家として生きるには、その芸術的心境が進展しなければいけない。然るに、既成大家になると、一の心境に安住しがちで、その心境を押進めてゆくことを、甚しく億劫がり易い。
それがいけないのである。
いけないのは、既成大家ばかりではない。未成大家にも、別のいけなさがある。
未成大家には、一の心境さえもないことが多い。ただ興味や興奮だけしかないことが多い。
所謂腰が据らないということはそこから来る。
芸術家は、芸術家としての魂の腰が据っていなければいけない。物の見方や感じ方や考え方に於て、人生に臨む態度に於て、芸術に対する態度に於て、揺がない心を把持していなければいけない。即ち一つの心境を持っていなければいけない。
一の心境もないということは、心境に進展のないことよりも、更にいけない。
一の心境もない作家によって書かれた作品は、完全に芸術品とは云い難い。
芸術品の持つ感じ、論説や記録や物語などから
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