覧会や音楽会などへ行くことがありました。そして……十一月でしたか――丁度昨年の今頃です――僕は何の気もなく或る音楽会の切符を、妻と二人分だけ前以て買いました。考えてみると、妻が肺炎になってから後二人で出歩くのは、それが初めてだったのです。その前日から丁度、道子――長女の道子が、感冒の様子で少し熱を出していました。然し大したことでもなさそうだし、折角切符まで買ってあるのだからというので、女中によく道子のことを云い含めて、僕達は出かけたのです。音楽会は、ピアノとヴァイオリンとで、演奏者の顔も相当によく揃っていて、可なり成功の方でした。
 その帰り途です。寒い風が軽く吹いて、月が輝っていました。濠に沿った寂しい道を、僕達は少し歩きました。晴着をつけお化粧をしてる妻と並んで歩くのが、僕には変に珍らしく不思議だったのです。暫く黙って歩いていましたが、妻は急に慴えたような声で、「道子はどうしてるでしょう?」と云ったものです。その時、僕の心のうちに、非常な変動が起りました。何かしらもやもやとしたものが消えてしまって、凡てがまざまざと浮んできたという感じです。自分が如何に勝手なことをしていたか、彼女を
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