「いつか酔っ払っていらした時、私に書いて下すったじゃないの。淋しければっていう題の……。」
「知らないよ。」と昌作はぶっきら棒に云った。覚えてるようでもあれば、覚えていないようでもあったが、何だか心の傷にでも触《さわ》られるような気がしたのである。
「じゃあ云ってみましょうか。初めの方は覚えていないけれど、最後のところだけちゅうに知っててよ。
[#以下3字下げ]
吾が心いとも淋しければ、
静けきに散る木の葉!
あわれ日影の凹地《くぼち》へ
表か?……裏か?……
明日《あす》知れぬ幸《さち》を占うことなかれ。
[#ここで字下げ終わり]
分って?」
昌作は思い出した。それはまだ九州行きの問題が起らない前、或る晩すっかり酔っ払って、ふと沢子の許へ立寄った時、急に堪らない淋しさを覚えて、その頃作ったばかりの詩を一つ、分り易いように紙にまで書いて、云ってきかしたものだった。その三連から成る詩の、最後の一連だった。そのことが、非常に遠く薄れてる記憶の中から、今ぽかりと目近に浮上ってきた。昌作は顔が赤くなるのを覚えた、……けれど、何だか一寸腑に落ちない所があった。
昌作は沢子にも一度その詩句を
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