離れて自分の内心を見守るのが当然の方法なのを、却って反対に、沢子の許へ来てしまったのである。沢子の許へ来て、何の片をつけるというのか? 昌作は九州行きを考えてみた時から初めて、沢子の存在が自分にとって光であるように感じただけで、外面的に云えば、二人は屡々顔を合して親しい心持になっているという以外に、何等の交渉もない間柄だったのである。二人の心がぴたりと触れ合う話を交えたこともあるけれど、それもただ友人という位の範囲を出でなかった。
「俺は今になって、初めて恋をでもするように、女性というものを知らない初心者ででもあるように、沢子に恋をしたのであろうか?」
 或はそうかも知れなかった。然し、いくら自分を卑下して考えても、単にそればかりではなかった。では一体何か?……その雲を掴むような疑問をくり返してるうちに、昌作は深い寂寥の中へ落ち込んだ。
 珈琲と菓子とを持って来、次にコニャックの杯を持って来た沢子が、彼の上から囁くように云った。
「あとで一寸お話したいことがあるから、待ってて頂戴。」
 昌作が顔を挙げて、その意味を読み取ろうとすると、彼女は澄ました顔で、さっさとスタンドの向うへ引込んで
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