せんでした。
 僕は気がつかずにいましたが、妻はあの音楽会の晩以来、或はもっと前から、蛇のような執拗さで、僕のあらゆることを探索していたらしいのです。後で分ったのですが、僕がでたらめに口へ上せた三浦の家へも、果して僕がその晩泊ったかどうかを聞き合したのです。それからまた、僕は沢子からの手紙を本箱の抽出のいろんなノートの下にしまって、抽出の鍵は鴨居の上の額掛の後ろに隠しておいたものです。所が、彼女が出て行った翌日の晩、ふとその抽出をあけてみると、沢子からの手紙がみなずたずたに引裂いてあったのです。最後の三行の手紙も勿論でした。
 手紙を引裂いたというその仕打が、沈みかけていた僕の心を一時に激怒さしたのです。それから暫くたって後、彼女の代理としてやって来たその叔父とかに当る男が、いやに人を軽蔑した口調で、更に僕を怒らしたのです。そのうちに僕は、変に皮肉な落着いた気持になりました。そうなった時は、もう彼女と別れるの外はないと胸の底まで感じていました。それからのことはお話するにも及ばないでしょう。いろんな嫌な交渉があって、結局僕は正式に妻と別れてしまいました。思えば不運な女です、彼女には何の咎
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