就職口を探してやろうと、そう云うんですよ。それから、一体佐伯君が恋してるっていうその女は、どういう種類の女かって、しつこく聞かれたものですから、私よく分らないけれど、お友達の妹さんかなんか、そんな風な、ハイカラな女学生風の令嬢らしいと、そう云ってしまったんですが、……どう? そうじゃなくって?」
「女学生風の令嬢だなんて、どうしてそんなことに……。」
「なりますとも。だってあなたは、その女が自分にとっては、光明だとか太陽だとか、そんなことをくり返し云ってたでしょう。あなたのように、玄人《くろうと》の女をよく知ってる人で……そうじゃありませんか、盛岡のことだって、またその後のことだって、考えてごらんなさいな……そういう人で、相手が芸者だの……珈琲店《カフェー》の女だのの場合に、それが私にとっては光明だの太陽だのと、そんなことを云うものですか。そんなことを云うからには、相手は若いハイカラな……令嬢というにきまってるわ。ね、当ったでしょう。……何もそんなに喫驚しなくったっていいわよ。」
然し昌作が呆気《あっけ》にとられたのは、彼女のいつもの早急な一人合点からとはいいながら、女学生なんかは大嫌いだと平素彼が云ってた言葉を忘れてしまって、どこかのハイカラな女学生風の令嬢だと勝手にきめてる、そのことに就いてだった。そしてそのことから、彼の気分は妙に沈んできて、ただ自分一人の心を守りたいという気になった。
「ねえ、もうこうなったら、仕方ないから、何もかも仰言いよ。……何処の何という人? 私出来るだけのことはしてあげるわ。」
「もう暫く何にも聞かないでおいて下さい。」と昌作は眼を伏せたまま云った。「私はまだ何にも云いたくないんです。あなたの仰言るような、そんな普通の恋じゃないんです。恋……といっていいかどうかも分りません。何だかこう……私自身が駄目になってしまいそうなんです。いろんなことがごたごたしていて、とんでもないことになりそうです。……私はもう少し考えてみます。考えさして下さい。私の心が……事情がはっきりしてきたら、すっかりお話します。是非お力をかりなければならなくなるかも知れません。けれど、今は、今の所は、自分一人だけのことにしておきたいんです。……馬鹿げた結果になるかも知れません。下らないつまらないこと、になるかも知れません。……まるで分らないんです。はっきりしてからお話します。」
「だって私、何だか心配で……。」
「私一人だけのことなんです。私一人だけのことが、どうしてそんなに……。」
「心配になりますとも!」と達子はふいに大きな声を出した。「私あなたのことなら、何でも気にかかるんだから、そう思っていらっしゃいよ。お前はどうしてそう佐伯君贔屓にするかって、片山もよく云うんですが、ええ、贔屓にしますとも! あなたのことなら何でもかでも気にかかって、一生懸命になってみせますよ。私あなたを弟のような気がしてるから……私にも片山にも弟なんかないから、あなたを弟と思ってるから、気を揉むのは当り前ですよ。」
昌作には、何で彼女が腹を立ててるのか訳が分らなかった。けれど何故となく、非常に済まないという気がした。彼女を怒らしたのを、非常に大きな罪のように感じた。彼は突然涙ぐみながら云った。
「済みません。僕が悪かったんです。」
「悪いとか悪くないとかいうことではありません……。」そう云っておいて達子は、長く――昌作が待ちきれなく思ったほど長く、黙っていた。そして静に云い続けた。「実際私は気を揉んだんですよ。四五日とあなたが約束したでしょう、そして一方に、そういう女の人があるでしょう、そしてそのまま音沙汰なしですもの、あなたがどんなにか苦しんでるだろうと思って、自分のことのように心配したのよ。それに、片山はああ云うし、そのことも早くあなたに伝えたいと思って、昨日から幾度電話をかけたでしょう。片山はまた片山で、何だかあなたに逢うことを非常に急いでいたんです。東京にいい口があるのかも知れませんよ。私には何とも云わないで、ただ話があると云うきりですが……。そうそう、あなたがいらしたら、会社の方へ電話をかけてくれって云っていました。一寸待っていらっしゃい、今かけてみますから。」
達子が立上って電話をかける間、昌作は変な気持でぼんやり待っていた。ハイカラな女学生風の令嬢だの、九州へは行かないでもよいだの、弟だの、禎輔から急な話があるだの、そんないろんなことが、まるで見当違いの世界へはいり込んだ感じを彼に起さした。そして、電話口から戻って来た達子の言葉は、更に意外な感じを彼に起さした。
「あの、あなたにすぐ武蔵亭へ来て貰いたいんですって。片山はあすこで二三人の人と会食することになっていて、今出かける所だと云っています。けれど、食事をするだけだから、そして
前へ
次へ
全44ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング