人の間に或る気まずい垣根を拵えそうだ。然しそんなことは、僕と君とさえしっかりしていれば、何でもないことだ。或は却っていい結果になるかも知れない。達子は少しも知らないんだからね。それで僕は、思い切って君に打明けることにしたのだ。自分の心をさっぱりさしたい気もあった。然し実は、人間の心に、……魂に、過去のことが思いもかけない時にどんな影響を与えてくるか、それを君に知らしたかったのだ。あの盛岡の女の事件みたいな、単なる肉体上の事柄じゃない。もっと深い心の上の問題だ。それを僕は君のために、あの……。」
禎輔は云いかけたまま、変に考え込んでその先を続けなかった。昌作は或る不安な予感に慴えて、立上って歩き出した。禎輔の調子が低く落着いてるだけに、それが猶更不安だった。その上昌作は、もう可なり酔っていた。自分でも何だか分らない種々の幻が、頭の奥に入り乱れていた。それが歩毎にゆらゆら揺めくのを、不思議そうに見守っていた。するうちに、彼はふと立止った。禎輔の様子が急に変ったのを感じたのである。禎輔はきっぱりした調子で云った。
「僕は君のことを考えたのだ。あの柳容堂の沢子と君とのことを。」
昌作は殆んど自分の耳を信じかねた。
「君が恋《ラヴ》してるというのはあの女のことだろう?」
「ええ。」と昌作は口と眼とをうち開いたまま機械的な答えをした。
「僕がそれを知ってるというのが、君には不思議に思えるかも知れないが、実はごく平凡なことなんだ。少し注意しておれば、何でも分るものさ。会社の男で、君の顔を知ってる者がいてね……君の方でも知ってるかも知れないが、名前は預っておこう。その男から僕は、柳容堂の二階へ君が度々行くということを、聞いていたのだ。そして、達子から君に恋人《ラヴァー》があるということを聞いた時、何故かそれを思い出して、実はすぐに彼処《あすこ》へ内々探りに行ったものさ。すると果してそうなんだ。……僕はこれで、秘密探偵の手先くらいはやれる自信があるね。」
それから彼は突然、非常に真面目な表情になった。
「僕の頭にあの女のことが引掛ってたというのには理由がある。あの女が彼処に出だして間もなく、今年の梅雨の前頃だったろう、会社の或る若い男が――これも名前は預っておこう――あの女に夢中になったものさ。僕も二三度引張って行かれたが、あの女には確かに、プラトニックな恋《ラヴ》の相手には適
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