声がとても好きだ。こっちに来る前、田舎に行ってた時、毎晩きいた。真暗な夜の田圃の中って、すごいよ。でもその鳥が鳴いてると、安心するんだ。どんな真暗な夜出ていっても、どこかで、ほうほう……鳴いてるんだ。」
 正夫は田舎に半月ばかり行ってた間に、殆んど毎晩、川漁にいった。夜の川ほど神秘に満ちてるものはない。浅瀬があり、深い淵があり、洞窟があり、泥中のもの、陸上のもの、水中のもの、更に闇夜のものなど、あらゆるものがうろついているのである。
 大きな河の浅瀬でする投網は、さほど面白くなかった。流し鈎の釣りもさほど面白くなかった。刃物での魚切りは少し変っているが、もう稲がのびすぎていた。
 何よりも心躍るのは、ウケをつけておいて魚をとることだ。竹を細くわったのを煽んで、円い箍のまわりにとりつけ、先端はせばまるようにし、ねじりながら縄で結えられるようになっている。そして頭部の、いわば竹の簀子の円筒の中に、も一つ竹の簀子の漏斗形がとりつけてある。魚がその漏斗形のところから中にはいると、そこから逆に外に出ることはむずかしく、他に出口はなく、全くその中に囚えられてしまう。そのウケを、魚の通路につけて、そこからだけ水を通し、他は水草や泥でせき切ってしまうのである。
 おもに水田と川との間の、畦の一部を切りとった水口に、ウケをつけるのだ。魚は習性として、夕方、いくらか暮れはじめる頃から、水田の中に餌をあさりにはいってゆく。そして朝早く払暁の頃に、多くはまた川に戻ってしまう。それ故夜になって、水口にウケをつけに行くのだ。水の流れが、田から川へか或は川から田へか、それは問題でない。田から川へ戻る魚がはいる向きにウケをつけておく。それを早朝、まだ朝日のささない頃に、引上げに行くのだ。
 昼間ぶらぶら歩きまわって、魚のいそうな場所を物色し、そこの田の水口を一杯あけ放っておけば殊によい。
 手頃な大きさのウケを二つばかりかついで、夜の九時頃出かける。闇夜が最もよいのだ。闇夜といっても、水の面はほんのり白い。それをたよりに、草深い小道をすたすたやって行く。堰の水音がしてるだけで、しいんとした夜である。水は川にも田にも満々と湛えている。川辺の猫柳が奇怪な形で蹲っている。時とすると、行手の道の上に、小坊主がすっくと立って、じゃぶりと川の中に飛びこむ。川獺のとんきょうな奴だ。それももう人を化かすことは出来ない。去年の秋には、村外れの爺さんの大きな藻蟹のウケに一匹はいりこんで、まんまと生捕られ、爺さんの自慢の毛皮となっている。河童なんかも、もう夢の世界に逃げこんでしまっている。それでも、夜の川辺には、何かしら奇怪な不気味なものがうろついている。だがみんな影だけだ。ほうほう鳥が、濁りのない落着いた声で鳴いている。ほう、ほう……ほう、ほう……。近いようでもあり、遠いようでもある。決して一つ処にじっとしていない。空には星がきらきら光っている。
 目指す水口にやって行く。ウケを五分の四ほど水に沈め、他は水草や泥でせき切り、ウケの上にも水草や泥をのせておく。そして水を二三掬いあびせる。それですんだ。田にはたくさんの魚がのぼっていそうだ。魚ばかりではない。何かえたいの知れないものもいる。みんな、川に戻る時ウケにはいるんだ。大きな不安と期待……それが、家に帰るまで続き、夢の中にまで続く。
 朝が楽しみだ。まだ太陽は出ない。白い朝、それからやがて赤い朝。道端の草にはしっとり露がおりている。大空の星がへんにぎらぎらしている。もう水田のものは川に戻ってしまったかしら? ウケのところまで、ゆっくり行くべきか早く行くべきか惑う。そして遂に、ウケに手をかける。ごつごつと手応《てごた》えがするのは、大きいやつがはいってるのだ。引き上げる時に、ばちばちっとはねるのは、鮒や鯉や鮠だ。重くのっそりしてるのは、鯰や鰻や鰌だ。ウケからすーっと水が引いてしまう時は、失敗で、目高の類が四五匹か、或は全く何一つはいっていないこともある。うまくいった時には、ウケ半分ほどもはいっている。
 正夫は毎晩ウケをつけにいった。一人では行けなかったが、その家に十七八歳の下男がいて、いつも一緒に行ってくれて、自分で大抵やってくれた。ほうほう鳥がいつもどこかで鳴いてるのが、楽しくもあり気強かった。或る晩、ウケを三つつけて、帰りかけると、遠くに燈火が一つ見えた。それが、水田の間の一筋の道を、こちらにやってくる。闇夜のなかの胸躍るような仕事のなかでは、燈火を持った者に出逢うのは嫌なことだ。どこかに隠れようかと躊躇してるうちに、燈火は非常な速さで近づいてくる。それが、大きな真赤な火で、提灯の光でもなく、電気燈の光でもなく、松明《たいまつ》の光でもなく……えたいの知れない火の玉だ。その赤い火の玉が独りで、闇にとざされてる稲田の中の道を
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