った。正夫はだんだん奥深く進んで行った。針葉樹の立交っているところに出た。然しその葉にも、美しい露の玉はあまりなかった。正夫はなお進んでいった。土地が次第に低く、谷間らしいところに出た。そこで森が切れていて、草地があり、その先は濃霧にとざされていた。
何か怪しい声がした。幾つもした。ちょっと静まって、また一度に聞えてきた。向うの、森の外れの木の上から来るらしかった。正夫は用心しいしい近よっていった。濃い霧のなかに、椎の木らしい茂みの中に、何か動いている。声を立てている。見ると、二三匹の猿だった。小さいのがないており、大きいのが頭をかいている。その向うにもまたいた。上の方にもいた。小さいのが枝から枝へ飛び移っており、大きいのが時々それを追っかけている。
正夫はそこに屈んで、じっと眺めていた。それから、くすっと笑った。彼は洋服を着ていた。傍の柴の小枝を折り取って、それを背中のバンドにさし、襟にさした。そして四つ匐いになって、徐々に猿の方へ近づいていった。柴の小枝と、四つ匐いの姿とのために、猿は正夫に気づかないらしい。正夫は椎の木の下まで行くことが出来た。すぐ上で、多くの猿がないたり、飛びまわったりしている。そのうちに小猿を一つ、正夫は生捕るつもりなのだ。だがまだ届きそうもない。椎の木の大きな幹に登れるかどうか、考えてみたが……その時、ふいに、正夫の肩にとびついたものがある。飛びつくと同時に、鋭い声をたてて木にかけ登り、それが合図か、多くの猿が一時になきたて、風が吹くような音を立てて、枝から枝へ、遠くに逃げていってしまった。正夫はそこへ一人ぽかんとしていた。
「ばかな奴だよ、逃げなくってもいいじゃないか。」と正夫はいった。
「君の方がばかさ、四つん匐いになったりして。平気で歩いていけばいいんだ。」とチビはいった。
「そんなことしたら、なお逃げちまうよ。」
「逃げやしないよ。初めから人間だと分っていれば、案外向うは平気なんだ。それを、四つん匐いなんかになってるんで、飛びついてみて、びっくりしたんだよ。」
正夫は暫く考えていたが、突然云った。
「ああ分ったよ。」
「何が?」
「君はいつもそんな考え方ばかりしているんだ。」
「…………」
「君が行ったって、猿は逃げやしないさ。だからそんなことを云うんだ。けれど、僕は君とは違うんだ。」
「そりゃあ違うさ。」
「いやそうじゃな
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