れてじっとしてることもあった。神社のまわりを、何度か廻ることもあった。拝殿の前にお詣りすることは決してなかった。
子供たちも、鳩も、そのお婆さんを見覚えていて、その周囲に集った。鳩はくくと喉を鳴らして一面に群れつどい、子供たちは目を輝かした。お婆さん自身だけがへんに没表情で、放心したようで、機械的に少しずつ豆を投げてやった。妙に人を寄せつけない縁遠いようなものがあった。その、震えてる唇は何を呟いてるのであろうか。石の腰掛の上で胸に垂れてる頭は何を考えてるのであろうか。どうかすると、雨の雫が木の葉にたまるように、皮膚のたるんでる頬に涙が、全く無心にかかってることがあった。小さな眼のすんだ光がふっと曇って、涙が睫毛いっぱいたまってることがあった。それでも彼女自身はやはり、冷く静まり返っていた。誰もその涙に注意を配る者はないようだった。本人も自分の涙を知らないようだった。
「あんな泣き方は、ほかでは見たことがない。変ってるよ。」と正夫は云った。
「その婆さんは、今でもいるのかい。」
「今年の春頃いたんだ。それから、もう出て来なくなった。」
「あの……草履をはいてた婆さんだろう。」
「うん。知ってるのかい。」
チビは肩をすくめて笑った。
「あれは、気狂《きちがい》だよ、もう死んだよ。」
「気狂いだって。」
「君はあとさきのことを知らないから、分らないんだ。ばかな話さ。」
その婆さんに、可愛いい孫娘が一人あった。四五歳の可愛いい盛りだ。それが孫だから、可愛いい以上だ。婆さんはそれをつれて、よく鳩と遊びに出て来た。その娘が、肺炎になって、病院で死んだ。婆さんほすっかりぼけてしまった。それから、一人であの神社に出て来るようになった。雨の日は、家でしくしく泣いている。天気になると、けろりとして、豆をもって鳩のところに遊びに来る。或る時、縁日の晩に、風呂敷いっぱい玩具を買いこんできた。花笄や、笛や、太鼓や、独楽《こま》や、花火や、木琴や、絵本や、積木なんか、いろいろなものを、座敷中にぶちまけたもんだから、家の者も、少しおかしいなと思いだした。
それから少したってからだ。婆さんは病院にやっていった。丁度院長の回診の時だ。大勢いっしょにはいってる三等病室で、院長は医員や看護婦を随えて、一わたり診《み》てしまって、出て行こうとした。そこには、扉を背にして、一人の婆さんがつっ立ってい
前へ
次へ
全21ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング