すると、なにかばかな目に逢ったというんだね。男というものはそうしたもんだろう。いつもばかな目にばかり逢わされてる。それに腹を立てるなんか、ますますばかだね。」
「ああ大ばかさ。フグでも食いに行こうか。」
「どうせ行くなら、フグ茶にしよう。」
「そんなもの、ありゃあしないよ。それとも、フグの刺身を残しておいて、鯛茶をあつらえ、僕たちで、フグ茶の手調理としゃれてみるか。」
「よかろう。」と武原は答えた。

 フグの茶漬けとか割烹旅館とかいう、志村の不穏当な「内緒話」は、男たちの間では、物好きな奴だとの苦笑を催させるぐらいなもので、大した反響は起さなかったが、女たちの間ではそうでなかった。
 食物の話とスキャンダルとは、この種の有閑社交界では最大のトピックとなる。志村のことはひそひそと噂に上った。破廉恥な人だと言う者もあった。道化けた人だと言う者もあった。女性を侮辱する人だと言う者もあった。そしてさまざまに批評しながら、実は誰か、その旅館とやらに彼と二人で行った者があるのではなかろうかと、穿鑿の横目を使ってるのだった。
 そういうことを、志村自身、よく知っていた。表面は敬遠されてるようで、実は少しも排斥されていないことを、知っていた。誰かが火遊びをしたのではあるまいかと考える、その底には、本人にも火遊びの要素があるのだ。ひそかな下心というか、隙間というか、そんなものがあるのだ。
 だから、志村は、にこやかな様子で、内心は傲然と反り返って、彼女等の間に立ち交っていた。――須賀邸の、老夫人の誕生日をかねた、ティー・パーティーの日である。
 ティー・パーティーといっても、男たちにとっては、むしろカクテル・パーティーなのである。材料一式持ち込んできた或るバー・テンダーが、カクテルの腕を振っていた。懇意な人たちだけの集まりなので、遠慮なく飲むことが出来た。応接室の方では、中央の大卓を片寄せて、レコードでダンスをやってる若い人たちもいた。日本室の広間には、日本酒も出ていた。
 薄雲もなく晴れ上った日で、縁側の硝子戸には明るい斜陽が射していた。だが、庭の芝生は霜枯れ、その向うの植込みには、常緑樹の葉が黒々と静まり返っていた。
 長い縁側をちょっと折れ曲った広縁の片隅の、毛氈を敷いて小卓に籐椅子が据えてあるところで、志村は、今井房代夫人につかまってしまった。
 彼女は太田夫人となにか話し
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