いな名前ですこと。」
笑いかけておいて、房代夫人は急に真面目になった。
「やまぶきだかなんだか存じませんが、わたくしが、その割烹旅館とやらへ、お伴しようではございませんか。それとも、わたくしのような肥っちょのお婆さんでは、いけませんかしら。」
志村は首をすくめた。
「分りましたよ。そう叱らないで下さい。」
房代夫人は片手を伸ばして、彼の手首を押えた。
「志村さん、すこし御冗談が過ぎますわよ。あなたの方は、冗談ですましていらしても、相手の方はそうは参りませんからね。みんな憤慨しておりますよ。中には、心の底のどこかで、ちょっと擽られたぐらいな気持ちになる者も、いないとは限りませんでしょうけれど、だいたいは、大袈裟に申せば、名誉を傷つけられたことになりますでしょう。そしてあなたの方は、不徳義な破廉恥なひとということになりますでしょう。その両方が重って、たいへん面倒なことが持ち上るかも知れません。ねえ、そうではございませんか。」
「分りましたよ。もうその話はやめましょう。いったい、あなたのお話は……。」
「え、わたくしの話が、どうなんですの。」
「あまりもっともすぎて、返答に困るというものです。」
「それでは、もっともでないことを申しましょうか。」
房代夫人はその小さな眼で笑った。
「わたくしが、みんなの犠牲になって、あなたのお伴をしようではございませんか。人中で、おおっぴらに、お約束致しましょう。フグの茶漬けとかを食べに、やまぶきとかいう割烹旅館へ、あなたと二人で、幾日の何時頃参りましょうと、公然とお約束致しましょう。そうしたら、ほんとに連れて行って下さいますか。」
「仕方ありません。是非そうしてくれと、あなたが仰言るんでしたら……。」
房代夫人はまた彼の手首を押えた。
「笑っていらっしゃいますね。実は、真面目に聞いて頂きたいことがございますのよ。申し上げようかどうしようかと、迷っていましたけれど、今日はよい機会ですから、思い切って申しましょう。ただ黙って、なんの弁解もせずに、聞いて下さいよ。」
「御意のままにします。俎上の鯉となりましょう。」
志村はそれまでに、三杯のカクテルを飲み干してしまった。房代夫人も唇の端っこでカクテルをなめた。それから、通りかかった女中に、また、カクテルを二杯たのんだ。女中の外に、通りかかる客人もあり、房代夫人に挨拶していった。二人
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