夢の卵
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)澄《す》みきって

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|瞬間《しゅんかん》のうちに
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      一

 遠い昔のことですが、インドの奥に小さな王国がありました。その国の王様の城は、高い山のふもとに堅い岩で造られていました。前にはきれいな谷川が流れており、後ろには広い森が茂っていました。谷川の水はいつも冷たく澄《す》みきって、苔《こけ》むした岩の間にさらさらと音を立てていますし、森の奥には何百年となき古い木が立ち並んで、魔物が住んでると言われていて、ほとんど誰も足を踏み入れる者がありませんでした。
 その城に、美しい若い王子が一人ありました。朝のうちは、えらい学者達についていろんなことを学び、午後になると、城の中の庭を駆け廻ったり、城の前の谷川で遊んだり、また時には、谷川の向こうの町やその近くの野原を、象の背に乗って散歩しました。晩には、国王に仕えている年とった侍女達《じじょたち》から、おもしろい話をききました。そして夜眠ってからは、さまざまな夢をみました。鳥や獣《けだもの》や虫や花や化《ば》け物や、そのほか見たことも聞いたこともない不思議なものが、夢の中に出てきました。
 それらの夢をみることが、王子にとっては一番の楽しみでした。そして翌朝になると、侍女《じじょ》や学者達に、また国王や女王へまでも、夢の話をしてきかせました。水の精から銀の魚をもらったことだの、真珠《しんじゅ》の眼玉を持ってる小鳥のことだの、空いっぱいにまっ赤な花を開いた大きな草のことだの、奇妙《きみょう》な声で歌いながら踊る虫のことだの、五色の息を吐く怪物のことだの、自由自在《じゆうじざい》に空を飛び廻る仙人のことだの、いくつもいくつもありました。
 王子があまり夢のことばかり話すものですから、国王はある時王子をたしなめました。
「そんなに夢のことばかり考えないで、お前はもっと確かなことに心を向けなければいけない。学者達についてもっと熱心に勉強しなければいけない。学問というものは、みな確かな本当のことばかりで、深くはいると、夢よりもいっそう不思議なおもしろいものだ。ところが夢の方は、みな不確《ふたし》かな嘘ばかりで、眼がさめると消えてなくなるではないか」
 けれど王子にとっては、夢もやはり学問と同じように、確かな本当のことであると思われました。ただ、国王から言われた通り眼がさめると消えてなくなるのだけが不満でした。もし、眼がさめてからも夢が消えなかったら……! 夢を捕《つかま》えることが出来たなら……!
「そうだ、夢を捕えてやろう」と王子は考えました。
 ところがどうして夢を捕えてよいか、いくら考えてもわかりませんでした。それで王子は学者達に、夢を捕える仕方《しかた》をたずねました。けれどいくら学者達が知恵をしぼっても、そんなことはとても考え出されませんでした。
「夢を捕えることばかりは、私共の知恵も及びませぬ」と学者達は答えました。
 それでも王子は力を落としませんでした。この上は自分一人で夢を捕《つかま》えてやろうと決心しました。夜寝る時、一生懸命にその覚悟をしておいて、それから眠りました。そして夢の中にいろんなものが出て来ると、はっと眼を覚ましながら両手を差し出しました。けれどその時には、もう夢は消えてしまっていました。王子は口惜《くや》しくてたまりませんでした。どうかして夢を捕えたいと思って、両手を布団《ふとん》の外に出して寝ましたし、しまいには、網や籠《かご》なんかを手に握って寝ました。そして夢をみてから、はっと眼がさめるかさめないうちに、網や籠を夢の上に押っかぶせようとすると、もう夢は消えてしまっていました。何度やっても同じことでした。
「どうしたらいいかしら?」と王子は昼も夜も、そのことばかりを考えていました。
 ある夜、王子は疲れきった悲しい心で、いつもより深く眠ってしまいました。すると間もなく、また夢をみました。……紫色の雲が遠くから飛んできます。それをじっと見つめていると、もやもやとしたその雲が、自分のすぐ前までやって来て、その中から、身体中まっ白な長い毛の生えた老人の姿が、ぼんやり浮かび出ました。老人はにこにこ笑いながら、王子に向かって言いました。
「王子、あなたがいくら骨折《ほねお》っても、夢を捕えることは出来ません。けれど、あなたがあまり熱心なのに免《めん》じて、夢の精を一つ見せてあげましょう。私はこの城の後ろの森の王です。これからすぐに私をたずねておいでなさい。森の奥の奥に大きな樫《かし》の木があります。それが私です。私の懐《ふところ》に夢の精が一ついます。みごと私をたずねて来ましたら、その夢の精と一日遊ばしてあげましょう」
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