の場所です。さまざまな生の、またさまざまな死の場所です。さまざまな感情の、さまざまな観念の、さまざまの映像の、さまざまの人物の、また自分自身の、死んだり生きたりする場所です。

 人の言には表裏がある。木村の言も同様で、彼は右のようなおかしな廊下を、実際に夢みてるのではない。廊下の代りに、もっと現実的なものが、彼の脳裡に画かれている。それは一つの小さな庭、庭とも云えないような地面なのである。
 彼は八畳と三畳との二室の離屋《はなれ》を借りて、それを一軒の家みたいにして住んでいる。食事は一切うちの人がしてくれるし、身辺の面倒までみてくれる。それで彼は自分一身の処置さえすればよいのである。月収ほぼ百三十円だから、贅沢さえしなければ、二十円くらいはあまし得る。
 室のすぐ横手に、草原の空地《あきち》がある。その空地を多少借りることにするのである。そして日曜日は、その空地の仕事に捧げるのである。あまし得る毎月の二十円をその仕事にかけるとすれば、徐々にではあるが、可なり思いきったことが出来る。
 その庭、借地の地面が、すっかり雑草に蔽われてるのは、何よりもよい。雑草の繁茂は最も自然的な自然だから
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