の場所です。さまざまな生の、またさまざまな死の場所です。さまざまな感情の、さまざまな観念の、さまざまの映像の、さまざまの人物の、また自分自身の、死んだり生きたりする場所です。

 人の言には表裏がある。木村の言も同様で、彼は右のようなおかしな廊下を、実際に夢みてるのではない。廊下の代りに、もっと現実的なものが、彼の脳裡に画かれている。それは一つの小さな庭、庭とも云えないような地面なのである。
 彼は八畳と三畳との二室の離屋《はなれ》を借りて、それを一軒の家みたいにして住んでいる。食事は一切うちの人がしてくれるし、身辺の面倒までみてくれる。それで彼は自分一身の処置さえすればよいのである。月収ほぼ百三十円だから、贅沢さえしなければ、二十円くらいはあまし得る。
 室のすぐ横手に、草原の空地《あきち》がある。その空地を多少借りることにするのである。そして日曜日は、その空地の仕事に捧げるのである。あまし得る毎月の二十円をその仕事にかけるとすれば、徐々にではあるが、可なり思いきったことが出来る。
 その庭、借地の地面が、すっかり雑草に蔽われてるのは、何よりもよい。雑草の繁茂は最も自然的な自然だからである。
 その草原に、先ず、大小さまざまな石を幾つも配置する。すべて自然石の各種の形態を集める。それから、石あれば水を要するので、自然の小川か或は泉になぞらえて、池を拵える。池の底には砂を敷き、一部分には水草を植える。そして庭の二方には、各種の樹木を雑然と植え込む。雑草とちがって、水草と樹木との種類は、細心な選択を要する。大自然のなかのおのずからなる整理と秩序とを、そこにも保たせなければならないのである。
 それで、大体の仕事は終る。次には、そこに住む生物のことである。これには種々の考慮を要する。考慮のはて、最も原始的なそして最も行動遅鈍なものに帰着する。そういうものとしてさしあたり、亀、蝦蟇、蝦、蟹……水陸両棲類におちつく。それらのものが雑居する場所を仕切る竹の垣根と、垣根の一部に見透しのきく硝子板とが、必要となってくる。なお池には、鯰や鯉や緋めだか緋鮒の類もよかろう。彼等の餌は自然にわくだろう。もし足りなければ、片隅の土地に朽葉を堆積して、蚯蚓や玉やすでを養成する。なお、蛇や蜥蜴や守宮《やもり》の類もよいけれど、金網の中では惨めだし、或る程度の放し飼いをするには、逃亡を防ぐこと困
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