法《めっぽう》に逃げてるうち、ある橋のところへやってきて、道をあやまったものですから、あっというまに川の中へ落ち込みました。
「川に落っこった、川に落っこった」
「ぽかんとして浮いてやがる」
「竿《さお》を持って来い、竿を」
大勢の人ががやがや騒ぎ立てました。
悪魔は川に落っこって、眼を白黒さしていましたが、やがて気が静まると、きらきら光ってる太陽が見えます。岸に立って騒いでる大勢の人が見えます。うらめしそうな顔をしてるハイカラ紳士も見えます。
「はてどこへ逃げたらいいかしら」
そう思って見廻すと、川の岸の石垣に、大きな円い穴が口を開いて、汚い水が中から流れ出ています。嗅《か》ぎなれたくさい匂《にお》いがしています。
「これだ」と悪魔《あくま》は心の中で叫びました。「俺の住居《すまい》だ。下水道の出口だ」
そして、帽子《ぼうし》が水に流されるようなふうをして、つーっと泳ぎだして、下水道の口の中に飛びこみました。
それを見て、岸の上では大変な騒ぎになりました。
「帽子が泳いだ」
「下水道の中に飛び込んだ」
「お化《ば》けの帽子だ、お化けだ」
「不思議な帽子だ」
わいわい騒ぎ立てて下水道の口をのぞいています。しかしいつまでたっても、もう帽子は二度と出て来ませんでした。
帽子はもうちゃんともとの悪魔の姿になって、下水道の口からちょっとのぞいて大勢《おおぜい》の人を見ると、こそこそと中の方へはいってゆきました。
「あぶないところだった。だがここまでくればもう大丈夫《だいじょうぶ》だ。どうも変に寒い。珍しいごちそうを食べて、あの男の頭の上で居眠《いねむ》りをしたので、風邪《かぜ》でも引いたのかな」
そしてそこの下水道の奥のまっ暗な中で、悪魔は、また大きなくしゃみをしました。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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