しお前が死んでしまったら、その喜びはどうなるのだ、その喜びを楽しむお前自身はどうなるのだ。
 A――それがどうなるかは、俺の知ったことではない。俺はただ、生きることを楽しみ、死ぬことを楽しむだけだ。生きた後はどうなるか、死んだ後はどうなるか、そんな先のことを考えてはしない。所がお前は、生きることや死ぬことを考えはしないで、生きた後のことや死んだ後のことなど、馬鹿げたことばかり考えている。俺に云わすれば、お前のような極端な夢想家にこそ、本当の生も死もなくて、ただあるのは虚無ばかりだ。
 B――いや、俺には常に理想がある。自分自身をより善くし、自分の周囲の者達をより善くし、他人をもより善くしたいという、強い欲求がある。そのために俺は、今死んではならない、もっと生きていたい、という念が起るのだ。
 A――自分や他人をより善くしたいということなら、俺だって望まないことはない。ただ俺は、何かを為すことによってそうしたいというのではなく、自分がよく生きることによって、もしくはよく死ぬることによって、自然にそうなるということを、晴々とした気持で感得しているのだ。お前のように、もう自分は助からないということを知りながら、まだ生きたいと※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]くのは、自分自身や周囲の者達に、徒らに悲しみを与えるだけだ。
 B――それならお前は、今迄為しかけてきたことを、これからなし得べきことを、すっかり為し遂げないで、このまま中途で斃れるのを悲しいとは思わないのか。
 A――為し遂げるとか中途で斃れるとか、そんなことは人間の浅墓な考えなのだ。人の欲望には限りがない。その無限の欲望が果されないからといって、お前のように悲しんでいては、結局生きることも死ぬことも出来なくなる。これまで十分に生きてきた、これから十分に死ぬのだ、というだけで沢山ではないか。
 B――そんな考え方は虫螻の考え方なのだ。存在というものだけを知って、生活というものを知らないのだ。
 A――それではお前の考え方は、自惚の強い空中楼閣式の考え方なのだ。生活というものだけを知って、存在というものを知らないのだ。
 B――そんな風に云えば、水掛論に終るの外はない。理屈を止して、実際のことについて考えてみるがよい。
 A――それもよかろう。……では、お前はなぜ死ぬのがそんなに悲しいのか。
 B――俺はま
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