近愛読した登山記が二つあるからである。ウィムパーの「アルプス登攀記」と、ベヒトールトの「ナンガ・パルバット登攀」とだ。両書とも一気に、夜を徹して読み耽った。そして読後へんな気がしたのは、信念にまで高まった情熱の前には、如何に人の命が安価であるかということ、云いかえれば、或る場合には生命などは問題でなくなるほどに、情熱が信念にまで高まるということである。勿論ここでは大自然の中に於てであるが、その或る場合は、吾々の日常生活の中まで延長出来ると思われる。そしてこの或る場合というのは、いつも、情熱それ自体がそうである如く、必要以外のものなのである。時としては、常識的には至って下らないものなのである。
必要というのは、茲では、喉の渇いてる者にとっての水、腹のすいてる者にとってのパン、性欲に飢えてる者にとっての異性の肉体、無一文な者にとっての金銭、そういうものを謂う。ところで、吾々にとって、必要なものは単に必要であるだけであって、それ以外の何物でもない。吾々がほんとに欲しいものは、別にある。「今何が一番欲しいか。」と尋ねられたら、大抵の場合――凡ての場合と云えないほど吾々は必要なものに不自由して
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