く頭を振ったが、立上って歩きだした。

 十日ばかり後、関釜連絡船の中で走り書きしたらしい手紙が、木下大五郎から村井の許に届いた。時勢を慨歎する大袈裟な文句の末に、「数々の御教訓に預り」などとお世辞をいい、最後に簡単な意向が洩らされていた。――「単身彼地に帰還致すべく、彼地には小生を待ちわびる女性も有り、彼女と結婚の上、大陸に根を下す覚悟に有之候。」
 そこの文句に、村井はちょっと眼をうるまして、彼と飲んだウイスキー半瓶のことを思い出した。その頃には既に、木下大五郎[#「木下大五郎」は底本では「大下大五郎」]のことは、その帽子や外套の絨毛と共に、この辺の数軒の小さな酒場から忘れられてしまっていた。



底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「知性」
   1942(昭和17)年4月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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