変る
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)薄端《うすばた》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]
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 壁と天井が白く塗ってあるので、狭い屋内は妙に明るく見えるが、数個の電灯の燭光はさほど強くない。柱の籠に投げ入れてある桃の蕾と菜の花の色も、季節に早いせいばかりでなく、へんに淡い。だが、木下大五郎の存在は目立った。帽子と外套の襟及び袖の折返しに、薄茶色の絨毛がもりあがっている。その色ではなく、そうした服装が、季節後れというよりも、なんだか場違いなのだ。ひいては、彼の存在そのものまでが場違いなのである。
 その場違いなものを、大五郎はかすかに感じながら、また誇りともしていた。眼には穏かな光があった。残り少ない銚子の酒を、小さな盃で一杯ぐっと飲んで、隣席の男の横顔をじっと眺めた。
 長髪に眼鏡、可なりいたんだ背広と外套の痩せた中年の男だった。新聞か雑誌に関係の者らしい。
「君の顔は立派ですな。中高で、何より、鼻が高く、ギリシャ型というんですか……。そこにいくと、僕の顔なんか、どうも……。」
 大五郎は、帽子の絨毛と同じ色の手袋を、呑み台の上に投げ出していたのへ、ちょっと手をやり、その手ですぐ、日焼けのした頬を撫でた。
 相手の男は、ちらと見返しただけで、煙草をふかしながら、ちびりちびり飲んでいる。
「立派なギリシャ型の顔ですな。」
 こんどは、何の反応もなく、その横顔の筋肉一つ動かなかった。大五郎のことを全く無視してる態度である。
 だが[#「 だが」は底本では「だが」]、斜後ろの方から、しゃがれた女の声が飛んできた。
「お酒は一本きりですから、すんだら帰って下さいね。ここは、酒をのむところで、お饒舌りをするところではありませんからね。」
 それぐらいの女の声には、大五郎は何の痛痒も感じない。彼はゆっくり椅子から立上って、その方を向いた。そこの、土間から低い框になって、畳の敷いてあるところに、鮨の盆をのせた餉台をかこんで、商人風の二人の男と、三十四五歳の丸髷の女が坐っていた。
 しばらく、大五郎は女の方を眺めた。
「君が、お上さんかね。え、お上さんかい。」
 女はつんと彼方を向いて、
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