。そしてその晩、安らかに眠ることが出来た。
 けれども、その翌日から澄子は、今井に対していくら平気でいようとしても、それがなかなか出来なかった。今井は辰代から云われた言葉を気にも止めていないらしく、今迄通り落付いていて、ただ辰代と中村とに対しては、一言の挨拶もせず見向きもしなかったが、澄子と顔を合せると、丁寧にお辞儀をするのだった。澄子はどうしていいか分らなかった。彼女には何もかも変梃に思われた。母があれきり何とも云わないで、而も三度三度の食事の膳を、自分で今井の所へ運んでゆくのも、また中村が始終笑顔をして、今井の姿を見送るのも、また今井がこれまで通りに、長い間|階下《した》の縁側に屈んでいたり、金魚の水を代えてやったりするのも、凡てが変梃に思われた。そして、茶の間の晩の雑談に、今井が決して加わらなくなったのだけが、はっきり彼女の腑に落ちたけれど、その楽しい雑談に於ても、母と中村とが妙に黙り込むことが多くて、何だか互に腹をでも立ててるかのようなのが、やはり彼女には合点ゆかなかった。何もかも調子が狂ってきた、とそういう気がした。
 そして最もいけないのは、澄子の様子をじっと窺ってる今井の
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