た時間を費してる私達の生活の、底をかき廻されたものだとしたい。淋しい酒宴になっていった。冗談口も冴えなかった。私達は無理にも酔おうとした。それから、二人の芸者をひっぱって、また席をかえて飲んだ。おけいはむっつりついて来た。宮崎と清子とが、知らん顔をして酒をのみ続けていた。
 その晩、各自にどうなったかは私の知るところでないが、翌日、「笹本」の二階で、昏々と眠り続けてる宮崎の枕頭に、清子は、根のぬけた乱れ髪のまま、血の気を失った顔で、じっと坐っていた。その耳の下の方に、物にぶっつけた紫色の斑点があった。おけいは、眉間の皺を深く刻んで、よけいな口は一言も利くまいと決心してるかのようだった。髪だけきれいになで上げてるのが目立った。私が電話で呼ばれて行った時にも、宮崎は昏々と眠り続けてるばかりだった。眼が更におち凹んで、額から顔へかけて肉附がすっきり……澄んでると思われるほどで、何の苦痛の表情もなく、身動き一つしなかった。呼び迎えられた医者は、長い間その顔を眺めていたが、静に二日も眠らしておけばいいでしょうと、事もなげに云った。宮崎の懐から、カルモチンの錠剤の壜が見出された。常用していたものと見えて、使用の予想量よりもひどく多分にへっていた。清子は何にも云わなかった。徹夜のつもりだったのが、酔って分らなくなったと、それだけきり引出せなかった。宮崎に自殺の意志があったろうとは思えなかった。然し、全然なかったとも、私には断定出来ない。
 島村はその晩きり、もう「笹本」に来なかった。私達の間からも、殆んど姿を消した。静葉はやはり芸妓に出ていたが、用事をつけて休むことが多かった。然し、彼等については、また他日物語ることにしよう。随分いろいろなことがあるのだから。



底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23])」未来社
   1966(昭和41)年8月10日第1刷発行
初出:「中央公論」
   1935(昭和10)年4月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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