然しそんなことは、予算にははいらない。」
「予算……。」
「例えば、君の所謂、純粋行為みたいなものだ。純粋行為というのは、無動機の行為とはちがうだろう。だから、あらゆる可能な行為を含むことが出来る。死の行為までも……。」
「そうかも知れません。」
「ところが、死の意慾などというものが、君は人間にあると思うか。死の意慾のないところに、死の行為が為されるとしても、それはもう死の行為ではなくなるだろう。」
「だから、そんな行為はない……。」
「ないけれど、ある。ただ予算にはいっていないだけだ。例えば、君は清子を愛していないと云っていた。もし愛するようになったら、初めから愛していたと云うようになるだろう。予算の立直しだ。」
宮崎は黙っていた。公園の中は薄暗かったが、新緑の香がほのかに立罩めて、空気は爽かだった。
宮崎は突然云った。
「もし、僕が彼女を愛していたら、あなたはどう思います。」
「そりゃあ、愛するのは君の自由だが、少し危い。」
「なぜです。」
「ほんとの愛は、世間に対して、闘争形態を取るものだ。然し君には、その力がまだあるまい。力が不足すると、不幸に終るか、それとも……。」
「すっかり云って下さい。」
「死にたくなったりする。然し死んだとて、何にもならない。たとえ君か、彼女か、或は二人とも、死んだとて、ただそれっきりだ。そのために、笹本の酒の味は少しも変りはしない。そのために、おけいの、また長尾や大西の、銚子の数が一つへるわけでもない。」
島村はちらと宮崎の方を見やった。
「君は、清子をどんな女か……品行についてだよ……知ってるだろうね。」
「知ってるつもりです。」
「ああしたところから引抜くには、容易なことじゃない。おけいのことも、君には分ってる筈だ。」
「それでは……静葉さんはどうです。」
殆んど憎悪に近い調子だった。然し島村はびくともしなかった。
「それは僕が知ってる。君には分るまい。」
暫く黙々として歩いてから、島村は云った。
「穢い……その一言でつきる。だから僕は別れの言葉を云ってやるんだ。僕の別れの言葉は、ただ侮蔑だけだ。」
宮崎は悪寒《おかん》をでも覚えるように、身を震わした。
「別れの言葉を云うだけの力を持つことだ。言葉はなんだっていい。君自身の言葉を一つ探し出せば、それでいいんだ。」
「然し、それがみな幻影だったとしたら……。あなたた
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