う。人間としての矜持とは、つまり、禽獣と異る人間性の自覚である。雀は最も平安な場所を本能的に選んで、そこに巣を造る。猫は最も快適な場所を本能的に選んで、そこに躓って眠る。もしも雀や猫の建築家があるとしたならば、彼は平安快適な場所を指示するだけで事足りるであろう。然し人間の建築家は、指示するだけでは何の役目をも果さない。彼は建築しなければならないのだ。平安快適な場所を造り出さなければならないのだ。この造り出すことそのことに、彼の人間としての矜持がある。そしてこの矜持の自覚には、それ自体に逞ましさと美しさとを含む。すべて何等かの意味の創造的精神には、逞ましさと美しさとがあるのが法則であって、これを失えばもはや創造的精神ではなくなる。
 斯かる精神を、建築家から抽出し、独自の存在と観て、私は今ここに、その復活顕現を翹望するのである。建築とか建築家とかを説いて来たのも、実は比喩であって、この精神を描出する手段に外ならなかった。
 戦争によって、日本の文化一般は殆んど廃墟と化した。戦争は本来、文化を擁護するためにこそ為されるべきものであるが、日本ではそれが逆となった。何故かを問うことはもはや止め
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