――おう伴の人、ぼうぼう燃えてる池を見たとか、御主人が云うのは本当かね。
 ――それは違うよ。私は尻尾の焦げた鯉の泳ぐを見たが、その池の鯉でもあろう。
 こんな調子で長く続くのである。而もこれは民話というより、一種の民謡で、歌うように語られるのである。
 こんなことを肥った年とった女が、日当りのよい庭などで、編物をしながら、或は糸車を廻しながら、孫でもあろう子供に歌ってきかしている、そうした光景を想像するのも、時にとっては一興である。

      F

 宮本武蔵政名が、仇敵佐々木劔刀斎岸柳の動静を探らんがため、変名して木下家の足軽に住み込んでいた頃、この木下若狭守の居城、播州姫路の城の、五重の天主閣の絶頂には、嘗て羽柴筑前守秀吉がそれを造営した頃より、故あって、高野師直の娘|刑部《おさかべ》姫の霊が祀られてあって、そこへ登ること相成らずと禁ぜられていた故、其後誰一人登った者もなく、もし登れば刑部明神の怒りにふれて命を失うものと、いつしか言い伝えられていた。その怪異を見届けんがため、宮本武蔵は家老木下将監の内命を受けて、この陰々たる天主閣、下が千畳敷、二重が八百畳、三重が六百畳、四重
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