町などでは、奴隷を酷使しながら、金属工業や機織工業などで繁栄を極め、さまざまな偶像を崇拝して風習は淫靡頽廃していた。ユダヤの地ゲデラの町でさえ、さまざまな偶像の社殿が立ち並んでいた。この中にあってユダヤ人等は、唯一のエホバ神のみを信仰していたが、それはただ在天の神で、如何なる形体をも取り得ないものであり、社殿の内部も簡素なものであった。聖地エルサレムの神殿も、世界各地のユダヤ人からの寄進により、金銀其他の豪華は燦然たるものであったが、神に関する偶像的装飾は何もなかった。
 このユダヤ人等は、政治的にはローマ総督と分封王との支配下にあり、宗教的にはエルサレムの祭司の支配下にあって、幾重もの苛税の下に呻吟していた。そして彼等の日常生活は、厳格なる道徳律によって制約されていた。そうした生活のなかで彼等は、昔のいろいろな予言者等の言葉を信じ、救世主の出現を待望し、それを告げる荒野の中の声に耳を澄していたのである。
 彼等の上層部には、祭司と教師の階級があって律法や誡命などの解釈に当っていた。そして彼等民衆の大多数は、道徳律を厳守してる所謂清浄な人々であったが、その下に、不浄とされてる人々がいた。それは一般に嫌悪軽蔑されてる人々で取税人、犯罪人、謀叛人、遊女、癩者、乞食などであって、普通の人交りは出来なかった。
 そうしたところへ、ナザレの大工ヨセフの子シュアが、救世主として立現われたのである。彼はおもに貧しい人々に話しかけた。不浄とされてる人々にも話しかけた。そして彼が説くところはすべて新らしい意味合を持ち、その行為も新味を持っていた。彼が好んで貧しい人々や所謂不浄な人々へ接近したのは、彼等がその悩みや悔恨の深さによって神へ近づいてることを示すためであった。憤怒と懲罰の面を主として見せていたエホバの神は、彼によって、慈愛憐愍の面を示してきた。救世主による民族救済から世界への君臨の夢想は、この救世主のため、人間苦の象徴たる「人の子」の運命の確立によって、人間救済から人類への君臨の思念と変ってきた。
 彼は幾度も繰返して云った、古き衣に新らしき補布をあてる者があろうかと、また、新らしき酒を古き革袋に入れる者があろうかと、これらの言葉はただ譬えなのである。然し、彼が貧しい人々や所謂不浄な人々と共に食卓に就いて、手を洗わずにパンを割いて食べたことは、食事の前に手を洗うという律令を破るものであって、この点で、彼は直接に祭司や教師の階級と衝突した。然し彼に云わすれば、信仰深き者にとっては口から入るものは凡て潔められるが、信仰浅き者の口から出るものこそ人を汚すのである。茲に於て彼は、律令や誡命などの解釈を飛び越えて、じかに神の許へ行った。彼に見らるる新らしさとか革新さとかいうものは、律令や誡命などの夥しい旧解釈を乗り越して、じかに神の許へ赴いたことにある。
 この新旧についてのイメージこそ、私が茲に提出したいものである。私はキリストのことを取上げたのではない。キリスト教の神のことを取上げたのでもない。夥しい旧解釈を乗り越えて神へじかに復帰することから来る新らしさを、答えとして持出したのである。
 文化の理念に於て、斯かる新旧のことを私は考えるのである。復帰すべき神性を持たない文化こそは憐れである。そこに萠す新らしいものは、旧なるものを打倒しなければならないと共に、それ自身はまだ根柢浅く、充分の成育はなかなか見通しがつき難いであろう。その上、斯かる新らしさは明日は直ちに旧さとなるやも知れない。天が下に新らしきもの無し、とは私は敢て云うまい。然しこの苛酷な言葉は掘り下げて考えられなければならない。
 万物は日々に新たなりということは、発展或は衰退の意味に於て、そして絶対新の理論的拒否に於て、理解されなければならない。然しながらまた更に、新たなものをはばむ旧の存在を充分に考慮することに於ても、理解される必要がある。斯かる理解の上で、万物は日々に新たである。然しその悠長さに任せてはおけない時代に吾々はある。東洋に一種の文芸復興というものが要望されるとしたならば、それは東洋が持つ神性なるものへ一躍復帰することによって、夥しく累積してる旧なるものを乗り越すことから発足し、更にこの発足を世界的規模にまで高めなければならない。
 これがどういうことを具体的に意味するかは、茲には云うまい。さし当って「永遠の人」のキリスト像によって得た新旧のイメージを凝視して、それを吾々自身のものともしたいのである。

      N

 何かの機縁で――それがどういうものだったか今は忘れたほどのごく些細な機縁で――私は亀を飼うようになった。庭の隅に低い囲いをし、小池をあしらった、二坪ほどの地面で、固より大きな海亀などを飼えようわけはなく、ごく普通の亀で、今では、いし亀とくさ亀とが十
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