うものがありました。すると背中の籠の中から、今日は大垣へ行くわいと答えました。するとまた池の中から、同じ声で、いつ帰るぞと問いました。これにも籠の中から返事をして、いつまでいるものぞ、明日はじきに帰るわいと、大きな声で云いました。男はびっくりして、こういうのが池の主というものであろうかと思いましたが、ここで弱気をだしては大変と考えて、とうとう魚屋へ行って売ってしまいました。そして翌日、また町に行って、魚屋へなにげない顔で立寄ってみますと、そこの主人の話では、あのすっぽんは恐ろしいものであった、刄物がなくては人間でも破れない生簀のなかから、どうして出て行ったか、見えなくなってしまったそうであります。これが恐らくすっぽんの親方であったろうという話であります。
この話、なんだか本当にありそうな話で、すっぽんと限らず、年経た亀一般にありそうな話である。――私の庭の亀は口は利かないが、食餌を持って行ってやる時など、大きな古いいし亀は、キーキーと細い声で鳴く。亀としては言葉を発してるつもりなのかも知れない。
亀を愛する気持は、生物の秘奥に一脈相通ずる気持であり、また超俗の気持であり、更に、日向ぼっこをしてる亀に親しむ気持は、熱い夢を静にはぐくむ気持である。――斯く云うこともまた、亀に類した愚かな夢想であろうか。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
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