ラスのものの無力さを痛感してるところにある。由って来る所以は、この事変下に於て、現実そのものの攻勢的跳梁があり、而もその現実自体が、在来の観念の秩序の埒外にはみ出すものであって、先の見通しがなかなかつき難いばかりか、当面の整理さえもなし難いという事態にある。かかる事態のなかで、一般的な真理とか、或は人間の心理やモラールを探究することは、甚だ困難であるばかりでなくまた迂遠の感さえなくもない。圧倒してくる現実に対して先ず第一に立向わねばならないし、さもなければ押し潰される恐れがある。だから文学実践の場合に於ても、現実と取組むことに力が先ず集注され、前述のプラス的なものが遠景に退き、随ってその無力さが曝露されたように、一応は感ぜらるるであろう。その結果、素材そのものの力に頼る傾向が生ずるのも、当然のことであろう。
 然しながら、文学はそれ自身の生存を欲する。記録的なものにせよ、報告的なものにせよ、即生活的なものにせよ、そのなかに、文学の本質的なものが生動し続けていないであろうか。――次のことは、人づてに聞いた話であって、真偽のほどは確かでないが、恐らく本当のことであろう。即ち、火野葦平氏の「
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