一人よ。いいでしょう。」
私の全身に押っ被さるように、照代は私に抱きついて、涙ぐんだ。そのような、情熱というか、感傷というか、それがたとえ一時にせよ彼女にあるのが、私には意外だった。私は言葉少く、黙りがちで、まじまじと彼女を見守った。
大きく井桁を散らした青っぽい着物に、赤い縦縞の丹前を引っかけてる彼女は、そのしゃくれ気味の長めの顔と共に、いつもよりか勝気らしく老けた感じだ。
「なにをそんなに見ていらっしゃるの。」
「今日は、君の顔がちょっと珍らしく見えるんだ。」
「ひとりっきりの寝顔を、ごらんなすったからでしょう。」
私は苦笑した。
「あたし、お多賀さんに、すっかり聞いたわ。あなた、気紛れねえ。ひとの眠ってる顔を見て、なにが面白いのかしら。」
光りがちらちら浮いてるように見える眼で、彼女はもう笑っていた。お多賀さんに話を聞いて私の真剣な愛を知ったなどと、生意気なことを言う彼女よりは小首をかしげて笑ってる彼女の方が、私には気安いのだ。
それにしても、先刻のことは半ば夢だったのかしら。いやそれよりも、夢の実現とかいう私の意気込みは、どうなってしまったのか。
腕がちくちく痛み、軽い頭痛がし、腰から足がだるく、身体違和の感じだった。口を利くのも懶い気で、しきりに私は彼女の顔を眺めた。彼女は私の眼を見返した。
「あなた、なんだかへんね。どうなすったの。」
私は微笑んだ。苦笑の形になったのだろう。
「どこか痛みますの。」
私は頭を振った。
「なにか、あたしに、お話があるんじゃないの。」
「話なんかないよ。こうして酒を飲んでおれば、それでいいじゃないか。」
「そう。そんならいいけれど……。」
間を置いて、どうしたのか、彼女は俄に私をじっと見つめてきた。
「なぜ?」
独語のように何かに反問して、私の言葉を待ってるらしい。
「君は、夢をみることがあるかい。」
「夢……めったにみないわ。」
「僕のことも?」
「ええ。なぜ?」
「おかしいなあ。僕のことを夢にみた筈だが……。」
「いいえ、夢ではなかったじゃないの。でも、びっくりしたわ。」
「夢ではなかったって……なんだい、それは。」
彼女はしばらく考えていたが、ちらと眉根を動かした。
「やっぱり、夢だったのかしら。あたし、いい気持ちに眠ってたのよ。どこか分らないが、宙に浮いてるようで……それが、この室なの。すると、
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