は、よく聞かされるところである。然るに、東海道線の夜の二等車内の光景は、それに相反するものであって、これを、何と解釈したらよいのか、兎に角、なごやかなことである。而も、立ってる方と寝そべってる方と、直ちに地位を変り得るのだから、更に妙である。或はこういうところに、日本人の集団戦闘に強い所以があるのでもあろうか。
F
これは少しく一般的なことになりすぎるが、東京を訪れた外国人の印象として大抵、事変下の帝都の有様が平常と余り変りないのを驚歎的に語ってることが報ぜられている。実際、帝都の有様は平常とさほど変ってはいない。だがそれかといって、徹底的な灯火管制でもやれというのか。酒や煙草を全廃せよとでもいうのか。全部下駄ばきにでもなれというのか。常住不断に深刻な顔をでもせよというのか。
帝都の有様は、事変下にあっても悠然としている方がよかろう。考えてみれば、大都市にあっては、直接の銃後の勤めなるものが存在し難い。如何に精神を緊張さしても、各自の日常の仕事に精励する以外、直接には、消費面の節約以外に為すべきことが見出し難い。農村にあっては、出征者が最も強力な勤労者であり、出征者のある家の仕事を、皆で相寄って為してやるのを第一として、さまざまの直接な勤めが見出される。然るに大都市では、オフィスの勤務など屋内的なことばかりで、それも補充人員には不足はなく、為すべき仕事が見出し難いのである。而も軍需工業の濡いは都会に氾濫して、花柳界は賑い、箱根や熱海の旅館は満員とくる。
帝都で直接的な仕事を最も持たない青年学生が、休暇の間に地方農村に散らばって、そこで何を感得して戻ってくるか、そしてそれがどういう風に帝都の空気に影響するか、或は何等の影響をも与えないほど無力であるか、これこそ問題にしてよかろう。風俗の問題は、結局精神風景の問題である。
G
箱根、日光、富士山麓、軽井沢など、自然の美と交通の便宜とに恵まれた土地の、安易なホテルのホールなんかでは、よく、家族か親しい仲間かの数人の、午後のお茶の集りが見受けられる。その中で、欧米の白人の連中は、いろんな意味で人目を惹く。大抵、彼等の体躯は逞ましく、色艶もよい。眼は生々と輝き、挙措動作は軽快で、溌剌たる会話が際限もなく続く。心身ともに、精力の充溢があるようである。之に比較すると、日本人のそうした集りには、あらゆる点に活気が乏しい。見ようによっては病身らしく思える身体を、椅子にぎごちなくもたせて、動作は鈍く、黙りがちにぼんやりしている。精力の発露などはあまり見られない。
然しながらこれは、体躯の大小は別として、日本人に精力が不足してるからだとばかりは云えない。第一に、日本人は余りに自然に親しみすぎている。伝統的に自然の息吹きに感染しすぎている。だから、明媚な風光に接する時には、家郷的な親しみが深く、おのずから保養的な気分に静まることが多い。自然を享楽する意味合よりも、自然の中に自らを保養する意味合の方が多い。
第二には、日本人の社交性の乏しさが挙げられるだろう。ただ茲に、注意すべき一事がある。日本人は、太平洋の中に浮んだ一隻の船に乗合わしてるようなもので、日常他国人との交渉も少く、お互同士の社交性はさほど必要でなかったに違いない。それ故にか、或は他の原因でか、日常の私生活に於て、妙に精力を蓄積する術を心得ている。汽車や電車の中などで寸暇をぬすんで仮睡する才能なども、その一つの現われであろうか。下らなく動き廻ったり饒舌り散らしたりすることは、精力の消費と考えられ易いのである。それに近い道徳もあった。
それはそれとして、新たな風潮が起りかけている。主に銀座を舞台とする、新時代人の野性的な交際や論議である。飲酒や漫歩や饒舌が、もはや精力の浪費ではなく、直ちに精力の原動力であり、更に云えば、直ちに思惟そのものとなる。それによって、仕事の能率は倍加されるのである。銀座を多欲的生活の享楽地としてる人々を謂うのではない。銀座を一種の在野的サロンとしてる人々を謂うのである。こういう人々のために、銀座は明朗な清純な一隅を用意してやらなければなるまい。
H
女学生の「キミ、ボク」の言葉が教育界の問題となった。だが、こういう言葉を使ってる女学生は甚だ少数で、而も一般女学生からは顰蹙されている。こういう言葉は恐らく、有閑マダムか女給などの間に発生し、新聞の娯楽面や或る種の小説などで宣伝されて、急に拡まったものであろう。
こういう種類の言葉を若い女たちが使用する心理のうちには、単なる物珍らしがりの外に、新しい礼儀作法への翹望が、漠然とではあろうが含まれている。女の礼儀作法は急激に変革しつつある。二三言云っては低くお辞儀をし、また二三言云っては低くお辞儀をし、かくて際
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