せる」
だんだんひどくなって、横《よこ》から吹《ふ》きつけてくる風を、マサちゃんは不平《ふへい》そうにながめて、それから決心して、目かくしをして歩きだしました。
自分の足のくせと、横《よこ》から吹《ふ》いてくる風の力とを、マサちゃんは頭《あたま》において、けんめいにまっすぐに歩こうとしました。風は時をおいてさーっと吹《ふ》きつけてきました。
――風にまけてなるものか。
マサちゃんは歯《は》をくいしばって、進《すす》んでいきました。
「ばかー……」
おや、と思ったが、気のせいのようでした。けれど、またさーっと吹《ふ》いてくる風が、顔《かお》をなでて、目かくしのハンケチの下の耳もとで、
「ばかー、ばかー……」
マサちゃんはがまんしました。
それでも風は、また吹《ふ》きつけてきて、耳もとで声をたてました。
もうしんぼうができませんでした。いきなりどなり返《かえ》してやりました。
「ばか、ばかー」
風もどなりました。
「ばかー、ばかー」
マサちゃんも声をはりあげてどなりました。
「ばか、ばかー」
見ていた子供たちはびっくりしました。かけていって、マサちゃんをひきとめました。が、マサちゃんは、目かくしを取られても、風が吹《ふ》いてくると、その方へ向《む》いてどなりました。
「ばかー、ばかー」
みんな心配《しんぱい》しました。マサちゃんが気狂《きちがい》になったのだと思いました。そしてむりに、家《うち》へ連《つ》れかえりました。途中《とちゅう》でも、マサちゃんは風に向《むか》って、「ばか、ばかー」とどなっていました。
四
家にかえって、しずかな室《へや》の中におちつくと、マサちゃんはもうどなりもせず、夢《ゆめ》からさめたように、きょとんとしていました。
お父さんとお母さんとが、心配《しんぱい》そうにマサちゃんの様子《ようす》をながめました。
「どうしたんですか」とお母さんがたずねました。
マサちゃんは、目かくしをしてまっすぐに、歩きっこをしたことを、話しました。それから風のこと――。
「風が、ばかー、ばかー――とわるくちをいうから、僕《ぼく》も、ばかー……といい返《かえ》してやったんです」
お父さんは笑《わら》いました。
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強《つよ》くなったり弱《よわ》くなったり、息《いき》をついて吹《ふ》くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉《は》だって、まっすぐに落《お》ちたり、ななめに吹《ふ》きとばされたりしてるじゃないか」
硝子戸《ガラスど》の外には、まだ風が吹《ふ》いていました。庭《にわ》のすみにある椎《しい》の木の古葉《ふるは》が、一つ二つ散《ち》っていました。風に吹《ふ》かれて横《よこ》にとんでるかと思うと、風がちょっと息《いき》をする間《あいだ》、まっすぐに落《お》ちます。かと思うと、またさーっと風がきて、葉《は》はひらひらと吹《ふ》きとばされます……。
「風って、息《いき》をするんですか」とマサちゃんはいいました。
「うむ、息《いき》をするよ。息《いき》をするというより、風は息《いき》なんだよ」
「なんの息《いき》?」
「なんの息《いき》って……。どういったらいいかなあ、空気《くうき》の息《いき》、神様《かみさま》の息《いき》、いろんなものの息《いき》……ただ息《いき》だよ」
「ただ、息《いき》だけ?」
「息《いき》だけだよ」
「ばかな奴《やつ》だな」
お父さんは声たかく笑《わら》いました。マサちゃんもお母さんもいっしょに笑《わら》いました。
硝子戸《ガラスど》の外には、椎《しい》の葉《は》がときどき散《ち》っています。小鳥が鳴《な》いています。夕方の赤い日が空にさしています。そして風は、息《いき》をついてはさーッさーッと吹《ふ》いています……。
「ばかな風だな」
マサちゃんははればれと笑《わら》いました。
底本:「天狗笑い」晶文社
1978(昭和53)年4月15日発行
入力:田中敬三
校正:川山隆
2006年12月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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