人の生活をさして淋しいとも思わず、よく食べよく眠った。帰って来た父を珍らしげに眺めることさえあった。父はむっつりした様子で、碌に話しかけもせず、新聞や書信に眼を通していた。が、そうしながら、心で君の方をじっと窺っていた。
そして夜、君がすやすやと眠っている時、幾度か、父の手はそっと君の手を握った。
孤独放浪の旅を夢想しながら、君という重荷があるからそれも出来ないという気持でいた父は、まだ仕合せだったと云えるかも知れない。真に孤独になって、放浪の旅がやはり出来ないことを知るのは、悲惨であろう。
そうした淡い反抗がすんで、それで愛情が一息ついて、そしてまたじっと君の手を握りしめ、君の顔を見入る時、父はその重荷たる君のうちに、如何に強い支柱を見出したことか。人が重荷を支えるのでなく、重荷が人を支えるのだ。
さて、あの奇怪な事件だが、あの時の君の父の態度は実に立派だった。聊かも取乱したところがなかった。
君の家と遠縁に当る秋山が、喉頭結核と腸結核で入院してるうち、或る夜、拳銃で自殺をした。あの事件だ。初め喉頭結核で、次で腸結核の徴候がきざしたので、あわてて入院したところ、病勢は急激
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