の一千円が、自殺の半月ばかりの前に、秋山自身の筆蹟の小切手で引出されていた。それを銀行から受取ったのは、素人とは見えない様子の女だった。それは前に一寸述べておいた、君の父の愛人なのだ。然しその金は、そっくり君のために使われた筈だ。
その拳銃とその金とに、若い君は反感を持つだろうか、或は同感を持つだろうか。または、どうでもよい些事だと思うだろうか。
君の父は、それらのことに思い惑いはしなかった。
嘗て、君の父が流行感冒の高熱と腹痛とで一週間ばかり寝た時のことを、君は覚えているだろう。君も老婢もしきりに心配したが、父は黙ってじっと寝ていて、君たちが側についていることさえ煩さがった。ただ一人きりでじっと寝ている。それだけが父の望みだった。医者が命じた手当さえもしたがらなかった。そして少しよくなると、誰が何と云ってもきかないで、起き上ってしまい、湯にはいったり外出したりした。
そういう父のやり方は、秋山に対する行動と矛盾するように思われるかも知れない。たしかにそこには矛盾がある。然し父にとっては何等の矛盾も感じられなかったのだ。ただ、その時々による図太い落付きが得られさえすれば、それが
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