父の形見
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)矩子《のりこ》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23]
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 正夫よ、君はいま濃霧のなかにいる。眼をつぶってじっとしていると、古い漢詩の句が君の唇に浮んでくるだろう。幼い頃、父の口からじかに君が聞き覚えたものだ。
 その頃君の父は、土地の思惑売買に失敗し、更に家運挽回のための相場に失敗し、広い邸宅を去って、上野公園横の小さな借家に移り住んでいた。君の母はもう亡くなっていた。老婢が苦しい世帯をきりもりしてくれた。父は感情の調子で時々酒を飲んだ。陶然としてくると、君を連れて散歩に出た。公園下に、まだ電車が通っていない時分で、木のベンチが並んでいた。
「正夫、見てごらん、星が、きれいだろう。」
 そう云って、酔ってる父はベンチの上に仰向にねそべり、小さな君はその側に、足先を宙に腰掛け、或は地面に膝をついてよりかかり、星を眺め、池を眺め、父を眺め、しまいにはう
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