散歩は、落魄した父と孤独な君にとっては、一の慰安だったろう。父にとっては酒の酔と異る陶酔があり、君にとっては酒の酔に似た感傷があったろう。そしてその思い出は、君の身内に長く生きている。然し、そういう思い出こそ、投げ捨ててしまわなければいけないものなのだ。

 正夫よ、君の父はほんとに自殺の決心をしたことがあった。幾日も家にひきこもっていて、後頭部に鉛のかたまりでもはいってるかのような沈黙を守ってることがあったろう。ああいう時だ。然し父は自殺をしなかった。劇薬が手にはいらなかったからではない。薬剤の代りには、拳銃もあれば短刀もあった。或はそのための旅に出るだけの金も、工面すれば出来ない筈はなかった。然し父は死ななかった。何故か。自殺の決心を実行に移すだけの或る光ったものが不足していたからだ。
 あの頃、父はひどく酒を飲んだ。放蕩もした。経済上の極端な行詰りを投げやりにした。精神も身体も弱り、寝つくほどではなかったが実際病気でもあった。希望をすっかり取失っていた。だがそれらのことは、ただ父の世界を陰鬱にするだけで、何等の光をも、絶望の光をも、齎しはしなかった。人は如何に悲惨のどん底に陥っても、何か或る一閃の光がなければ死ねるものではない。だから、自殺出来るものは、その実践に移る瞬間、幸福であるとも云える。
 自殺も出来なかった不幸な父は、自殺の覚悟を最も固めている時に限って、庭の草木や石をいじりまわしていた。二十坪ばかりの取るに足らない庭だったが、数個の石と、数本の樹木と、小さな花壇があった。父はその庭石を据えなおし、椿の枝を鋏み、木斛の虫をとり、楓の枯葉をはらい、草花に肥料をやった。縁側に腰掛けて煙草を吸いながら、首を傾げてじっとうち眺め、また立っていっては働いた。それは実に丹念な庭師だった。
 借家の狭い庭の、草や木や石だ。自殺しようという者にとって、そんなものが何になるのか。然しながら、たとえ死にはしなかったとは云え、自殺まぎわに父がそれらのものに関心を持ってたことこそ、君が記憶していなければならないことだ。庭をうち眺め、君の方をふり向いて、木の葉や草の芽を視線で君に指し示した父の顔付を、君は覚えているだろう。それとも、黙りこくってる陰鬱な顔しか君の頭には残っていないかしら。

 正夫よ、君の父は、君の母の死後、随分放蕩をしたようだが、そのうちに、ほんとうに女と愛
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