々とはあまり口を利かず、非常な速度で書物を読んだ。或る政党の書記局にいた山口専次郎も、しばしばやって来た。彼は書物などは殆んど見向きもせず、時事問題について誰彼の差別なく意見を求めた。有名な文士の吉村篤史も、時々やって来た。なにか小説の材料になる記録でも物色してるらしかったが、未亡人の室の方に招じられて話しこむことが多かった。其他いろいろな人が来たが、年若い人が多いし、この一篇の物語には関係が少いようである。波多野家に家族同様の待遇でいる魚住千枝子が、室の掃除や整頓に当っていたし、以前から寄宿してる一人の学生がそこに寝泊りしていた。
 ところが、波多野洋介はこの研究所を全然無視する態度を取った。そちらへ足を向けず、そこにある書物を一冊も読まなかった。彼は自分の八畳の書斎に若干の書物を持っていたし、なお読みたい書物は友人から借りてきた。友人が文化研究所のことを言うと、彼は例の通りぼんやりと答えた。
「あれはどうも、僕のものではないようだ。」
 茲に、なお一つ私の観たところを附け加えておくが、彼はすべてのことを甚だ漠然としか言わなかったけれど、その背後には、明瞭な、ややともすると烈しいほど
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