十分に飲ましてくれる。つまり、手か足か何か大事なものを、ここにいる限りは、自分でもぎ捨てるようなことにならないで済むというわけだ。」
一同は笑った。愉快になった。そして井野老人の蟹のため、盛んにビールを飲んだ。井野老人はますます楽しそうに酔っていった。
洋介はいつもの通り、あまり口を利かず、ぼんやり微笑んでいた。ところが、突然、痛いほど私の腕を掴んで、囁くように言った。
「井野さんの蟹のマッチは、あれはこじつけだ。真意は、日本の社会を諷刺[#「諷刺」は底本では「諷剌」]してるのかも知れない。皆がそれぞれつまらないものにしがみついていて、それこそ手か足か何か大事なものを自分でもぎ落さなければならなくなるまで、それを放そうとしない。そうじゃないか。僕の周囲もだいたいそうだ。僕は帰国してきてからへんに息苦しかった。理由はそこにある。もっと自由にならなくちゃいけない。僕はうすうすそのことに気付いて、それとなく闘ってきたが、これからは公然と闘ってやる。」
彼はひどく腹を立ててるようだった。私の腕を掴んでる力をますます強めた。その顔はなにか皮が一杯むけたかのように鮮かな血の気がさし、眼はぎら
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