遊んでいた。読書だけは熱心にしているようだったが、そのほかは、友人たちとの私交、演劇や音楽会、散歩や酒、近県への一二泊の旅など、東京中心の土地を改めてなつかしんでいるかのようでもあった。これからどんな方向へ進み、どんな仕事をするつもりか、恐らく彼自身でも見当がつかなかったのではあるまいか。
洋介のそういう態度は、外地からの帰還者ということを考慮に入れても、やはり非難の余地があった。深刻な食糧危機、政局の昏迷、社会情勢の不安、其他、あらゆる問題が堆積錯綜して、敗戦後の立ち直りが可能であるか否か、見通しさえもつき難かったのである。このことについて、彼の亡父の親友だった高石老人は、豪宕な調子で彼を揶揄したことがある。それに対して、彼は例の微笑を浮べた。
「そうですが、実際のところ、私にはまだ何も分らないのです。だから、いま、勉強中なんです。」
「さよう、大いに勉強してくれ。」と高石老人は真面目に言った。
その勉強の機関、というほどでもないが、洋介が帰国してからの活動の足掛りとして、ささやかなものが、高石老人の発意で設けられていた。邸内の、故人の書斎と次の間とをそれにあて、名前だけは厳めし
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