高慢な気味合いがその白々しい額に浮んでいた。
 かすかにスリッパの音がした。彼女は不意を衝かれたかのように壁際に身をひそめた。
「明日、二時に……。」
 吉村のらしい声がそれだけ聞えた。あとは言葉もなく、吉村は立ち去り、未亡人房江らしい足音が静かに奥へ引き返していった。それでもまだ暫くの間、千枝子は壁際に身をひそめていた……。
 その翌日、房江はいつもより入念に化粧し、而もあまり目立たない衣裳で、午後から外出した。千葉の友人を訪れるので帰りは分らないと言い置いたが、その夜は戻らなかった。

 太陽は雲に隠れて、時間のけじめのつかない明るさだった。露に似た冷かさが大気にこもっていて、小鳥の声は爽かに響き、遠く、時後れの鶏の声もあった。竹の葉にさやさやとそよぐけはいがあるだけで、庭の茂みは静まりかえり、藤の花が幾房か重く垂れていた。
 その朝の気が、濡縁に屈んでる吉村篤史の眼にしみた。
 衣ずれの音がして、波多野房江が隣室から出て来た。彼女は縁先へは出ず、食卓の前の座布団に膝をおとし、両手を卓上に重ねて、うっとり思いに沈んだ。
 二人とも黙っていた。小鳥の声がひとしきり高くなった。
 吉村
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